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05 2016

幹部は役職ではない 広宣流布のために何をしたのか

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池田先生のご指導です。

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副理事長の石川幸男が口を開いた。
「確かに、わざわざ奄美まで来たんだから、大いに健闘しなければ意味はありませんな。わたしもしっかり、信心指導にあたりますよ」

伸一は、笑みを浮かべて言った。
「石川さん、指導をするという発想ではなく、奄美の同志から、信心を学んで帰ることだよ。ここの支部長や婦人部長は、この遠く離れた奄美から、毎月、船と列車を乗り継いで、東京の本部幹部会に来ているんだ。それだけでも一週間はかかってしまう。その間、仕事もできないし、送り出す家族の苦労も大変なものだ。

 そして、会員の激励に島から島を駆け巡り、命がけで広布の道を開いてきた。生活だって犠牲にしなければできなかったはずだ。一人ひとりが広宣流布の大功労者だ。

 幹部で役職が上だから、信心が強盛だとは限らないし、偉いわけでもない。話をさせれば、みんなの方がうまいだろうし、教学力もあるだろう。しかし、それと信心とは、必ずしもイコールではない。

 大事なことは、実際に広宣流布のために何をしてきたかだ。どれだけ折伏し、どれだけ同志を立ち上がらせ、どれだけ動き、どれだけ汗を流し、悔し涙を流してきたかだ。

 奄美は確かに遠い。しかし、奄美の同志の心は、私に最も近い。私とともにあるといってもよい。学会本部にいても、心は私と離れている幹部もいる。心の距離は、決して場所によって決まるものではない。

 私がみんなを連れて来たのは、奄美の友と接するなかで、本当の信心を、そして、本当の戦いと本当の苦労を知ってほしかったからだ」
(新・人間革命 第8巻 布陣の章)
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みな戦う同志であり、友であり、先生の弟子です。同志に上も下もありません。
この心が出発であり、自分は広宣流布の為に何をしてきたのか。今、何をしているのか。
この一点をしっかり見つめ、戦って参ります。
いつもありがとうございます。
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