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02 2017

創価学会仏(そうかがっかいぶつ)とはなにか 創価学会の意味その3

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170102草原

創価学会仏 創価学会は何のためにあるのか。引き続きその3です。
池田先生のご指導「法華経の智慧」より学びます。


創価学会は折伏の団体 信仰の感激・確信・喜びを語ることが根本

「流通」とは、「広宣流布」のことです。今、学び始めた「流通分」には「妙法広宣流布」への指針がちりばめられている。
だから、仏法三千年の歴史の中で、私どもこそが、この経文を実感をもって読むことができる。私どものための「随喜功徳品」です。
戸田先生は言われた。「予は立宗七百年を期として、これより盛んに広宣流布することを断定するものである」と。(七百年の意義)
昭和二十七年(1952年)です。会長就任の一年後でした。創価学会は折伏の団体です。広宣流布の団体です。広宣流布のために、御本仏・日蓮大聖人が呼び出された不思議なる団体なのです。この一点を、どこまで深く「自覚」できるかです。(中略)
われわれは「流通広布の時代」を待ち、その時を選んで、今、生まれてきたのです。
今世に、どれほどの深い使命があるか、どれほどの尊貴な立場か、はかりしれない。末法万年への先駆けです。それを思えば、大感激です。欣喜雀躍(きんきじゃくやく)です。しっかり御本尊を拝して、「自覚」をしなければならない。
歓喜功徳本では、有名な「五十展転(ごじゅうてんでん)」が説かれるが、これを事実の上で実践してきたのも創価学会です。弘教といっても、単なる理屈だけではなくて、信仰の「感激」と「確信」「喜び」を語っていくのが根本です。それが、人の生命を揺さぶるのです。

(参考)流通分とは

流通分(るつうぶん)は、序分(じょぶん)(無量義経と序品)、正宗分(しょうしゅうぶん)(方便品から分別功徳本の前半までの十五品半)に続く部分。分別功徳本(第十七章)の後半から法華経の結経である観普賢経の経末まで
(法華経の智慧第5巻39~41㌻)


広宣流布ひとすじに生きる創価学会員は真の法師

法師(ほっし)とは僧侶のことではない。法師品(第十章)でもやったが、法師とは「法を師とする人」であり、「師となって法を弘める人」という意味です。在家であれ、出家であれ、法を求め(求法「ぐほう」)、法を弘める(弘法「ぐほう」)人が「法師」なのです。(中略)
ゆえに、現代において、広宣流布ひとすじに生きる創価学会員こそ、真の法師であると断言できる。
「正しい人生は、ここにある!」「幸福への大道は、ここにある!」
こう確信をもって言い切れる人が今、他の、どこにいるだろうか。
法師とは、混沌として出口の見えない闇の社会にあって、人々を幸福へと導く「精神の指導者」のことです。いわば、地域と社会の「灯台」です。そういう人が、創価学会という大民衆組織には、無数におられる。諸君の周囲にもおられるにちがいない。(中略)
百人もの人の人生を根本から救う。これは、どんな大学者も大実業家も、遠く及ぶことのない大偉業です。また、そう見ていくのが、「六根清浄」のうちの「眼根清浄(げんこんせいじょう)」に当たる。世間の「位」などに目を曇らされないということです。
(法華経の智慧第5巻66~67㌻)


創価学会とともに広宣流布ひとすじに生きた人は必ず無上道の軌道に入る

要するに、六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領ではなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたっていく。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
例えば、年をとって目が悪くなっても、手はまだ動く。手紙も書ける。口は動く。電話もできる。無理をするということではなく、胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根清浄です。
どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」というのです。
結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
前進しきった人が、必ず勝つ。題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。
(法華経の智慧第5巻98~99㌻)

以上です。
ありがとうございます。


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