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14 2017

チェルノブイリ30年の教訓 家族で決める避難 法律が求めたのは話し合い ロシア研究者・尾松亮

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170214ロシア

家族で決める避難

チェルノブイリ原発事故から5年後に成立した「チェルノブイリ法」は、年間1ミリシーベルトを超える追加被ばくが推定される地域からの移住の権利を認めた。国の費用負担により、移住した先での住宅の確保、雇用支援や失業給付、引っ越し費用の支給が約束されている。
もちろん法律が認めたからといって、皆が移住したわけではない。住宅や仕事が与えられ、引っ越し費用が支給されても、住み慣れた地域を離れ、新しい場所で生活を再開するには負担が伴う。
ロシア西部の被災地ノボズィプコフ市は「移住権」が認められたが、大半の住民は地域に残った。チェルノブイリ法成立以前の1989年、町の人口は約4万5000人で、2016年現在は約4万600人。人口減少は目立つが、「移住権」で大半が町を去ったというほどでもない。
「高齢の両親を置いてはいけない」「農村で生きてきたのだから、都市部に移り住んでもなじめない」
さまざまな理由で、多くの人々が町に残った。その住民たちは、定期的な保護、細かい汚染マップを作るなど、被ばくを避ける取り組みを続けている。
実はこの移住権、「家族単位」で認められるものだ。ロシアでもウクライナでも、「移住権」の運用規則によれば、世帯内の成人全員の同意書が必要になる。
つまり、家族のうちの誰かが移住し、誰かが元の地域に残るという選択には支援しない。法律が求めたのは「家族で決める」ことであった。人々の話しを聞くと、皆「移住するかとどまるか」家族で話し合ったという。


法律が求めたのは「話し合い」

この「家族単位」という規定が世帯を分離して「母子避難」「父子非難」することを阻んだ。それが良かったのか、評価は難しい。でも法律が「家族で決める」ことを求めたことで、少なくとも「話し合い」ができた。
心からの合意が得られなかったこともあるだろう。でも「法律で認められた対象地域」である、という同じ認識に立って「国の支援を受けて移住する」か「住み続けるか」を話し合うことはできた。
「避難したい」と言いだせなかった・・・。福島第一原発事故後の日本ではそんな声も聞く。
どちらかの立場が間違っているのではない。それを前提に家族が今後を話し合う。法律があることで、避難を提案し、話し合うことは否定されなかった。
それをやりやすくする制度は、存在するのだ。

(聖教新聞2017年1月19(木)付 チェルノブイリ30年の教訓 家族で決める避難 法律が求めたのは話し合い ロシア研究者・尾松亮)


本当にありがとうございます。
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