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12 2017

チェルノブイリ30年の教訓 事故を追悼する 遠くを思うだけでよいのか ロシア研究者・尾松亮

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170312虹と復興

事故を追悼する

間もなく6度目の3月11日を迎える。
地震・津波の大きな被害を受けた東北各県では式典が行われる。原発事故の起きた福島県では原子力事故からの苦しみに思いを寄せる意味合いも強い。
もちろん、東北以外でも、この3月11日に特別な追悼イベントを行う自治体はある。また震災の起きた時刻の黙とうは、全国的に行われている。
しかし、それは静かに遠い「被災地」を思うという行事ではないか。そのとき、私たちの立ち位置は「遠くから悲しげに見守る他者」になってはいないだろうか。
4月26日には、チェルノブイリ・カタストロフィー31年の式典が旧ソ連の各地で行われる。
本連載第6回でも取り上げたように、チェルノブイリ原発から直線距離約1000キロ離れたサンクトペテルブルグ市でも、毎年、大規模な追悼集会が行われている。サンクトペテルブルグは直接の被災地ではない。それでもなぜ、これほど大きな追悼集会が続けられているのか。
ペテルブルグからは多くのエンジニアや専門家たちがチェルノブイリ原発の収束作業に投入された。命を失った人々、高線量下の作業で健康を害した人々も多い。彼らは被災者団体「チェルノブイリ同盟」を立ち上げ、追悼行事や、補償を求める運動を続けてきた。
「事故直後、ウクライナから避難してここ(ペテルブルグ)に住み着いた人もいる。そういう人の家族も含めれば、この町でチェルノブイリを体験した人は多い」。チェルノブイリ同盟のレニングラード州支部長ヴェリキン氏は言う。
去年の4月26日、式典はカザフスタン北西部のアクタベ市でも行われた。事故当時、カザフスタンからも収束作業のために若者が招集されたのだ。今なお、健康被害に苦しむ人々もいる。
彼らは、遠い被災地に向かって祈るだけではない。同じ町に住む身近な仲間たちの苦しみを思い、その権利を守るために訴え続けている。


遠くを思うだけでよいのか

「遠い被災地に向けて祈る」。それは大切なことだ。でも「被災地」は遠くにしかないのか。
自分の住む町を見回してほしい。そこには原発事故の影響から逃れて避難してきた人々がいる。その町から、事故の収束に関わる作業に参加した人々もいるかもしれない。
その人たちの顔を知らないまま、遠い場所の出来事として祈ってはいないだろうか。

(聖教新聞2017年3月2(木)付 チェルノブイリ30年の教訓 事故を追悼する 遠くを思うだけでよいのか ロシア研究者・尾松亮)

ありがとうございます。
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