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23 2015

戦国武将 あの人のその後 日本博学クラブ PHP研究所

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題名 戦国武将 あの人のその後
著者 日本博学クラブ
発行 PHP研究所

戦国時代とは、一般的には応仁の乱が始まる1467年から織田信長が足利義昭を奉じて入京した1568年までを指すが、この本書では徳川家康が江戸幕府を開いた1603年頃までを戦国時代としている。理由は1600年の天下分け目の戦いともいわれている、関ヶ原の合戦を境に家康は中央集権化を確立させていき、そこで戦国の世は一応の終結を見るからである。

戦国時代とはどういう世の中であったのだろう。当時の農民にとってはこの先どうなるのかまったく見えず、大きな不安を抱えていたことだろう。主君は誰でもいい。我々にとって平和な時代よ早くこい、と願っていたに違いない。それに対して諸国の武将はどうであったのだろうか。今こそ世に躍り出て名を上げるのだと思った者、強い武将に取り入ることで保身を計ろうとした者、歴史に学び、将の将になることを望んだ者、畜生のごときとにかく生き延びることを欲した者等、たくさんの人間の夢や野望が渦巻いていたことだろう。一言に戦国時代、天下統一の野望といっても、各武将が抱いている天下統一のイメージは様々であったに違いない。だからこそ、たくさんの武将の生き方があったのだ。

私は今まで戦国時代といわれていたものを真剣に学ぼうという気がおこらなかった。しかし、この本に出会って、初めて戦国時代の各武将の生き様に興味を持ち、歴史を学ぼうと思った。これが一番の収穫であった。このような思いは、様々な人との出会いから、自分の生き方の姿勢について改めて考えさせてもらえたためだ。また、横須賀に引っ越したことで、日本の歴史について知りたいと思えるようにもなった。それほど、北海道と本州にいるときの心境は違った。

本書では戦国時代を大きく三章に分けて、その時代に登場した人物がどのように生き、どのような結果となったのかを記している。第一章は1600年の天下分け目の戦いとなる、関ヶ原の戦い。現在の岐阜県南西端に位置する。豊臣秀吉の死後、徳川家康率いる東軍と、徳川家康の天下統一を阻止しようとする石田三成率いる西軍の戦いである。第二章は1582年の京都における本能寺の変。豊臣秀吉がいない隙を見て、明智光秀が主君である織田信長を裏切り、信長が自殺したのだ。そして第三章は1467年から始まった応仁の乱である。足利の跡継ぎ問題、相続問題等がからみ、全国の守護大名が細川方の東軍と、山名方の西軍に分かれての戦いである。

今の日本における東西という言葉について、改めて認識した。関西と東京の違い。北海道とは比較にならない歴史の深さ。北海道民と本土の民衆の気質が違うのは歴史的背景が影響しているのだろう。

色々な人物について描かれているがその中で感じたことが2点ある。まず一点は、生き抜くこと、死ぬことの表面的に同じ形であっても、生き方によって人生がまったく違うということである。どう生き抜いたのかが問われるのである。裏切りの人生を生きたものは最後に裏切を得て死んだ。戦に負けて死んでも、その親族が栄えているものもある。同じ生きるという形であるが、その生き方の質はまったく違うのだ。

もう一点は、優れたる者とは単に一芸に秀でるだけではなく、全てにおいて秀でているということだ。単に一芸に秀でていても、生き残ることは出来ないからである。更に云えば、真に一芸に秀でる者とは、全てにおいて秀でる者であることに通ずる。武力のみならず、知力、運、全てにおいての総合力がなければ、戦国時代は生き残れなかったのである。実力こそ全ての時代だったのだ。

今の時代も情報社会である。まさに現代版の戦国時代だろう。ここで必要なものは、ただ単に生きることではない。どのように生きるのかが重要なのだ。自分の行き方、信念を明確にし、それを貫き通すことなのだと思う。当時の戦国時代は実際の命のやり取りを行った厳しい時代であった。しかし今は実際の命のやり取りを行えば、単なる殺人者になる。では、今の命のやり取りとは何であるか。それは、言論戦、思想戦である。自分の信念を語りぬくこと。生き抜くことなのだ。

私は人間主義という生きる希望を周囲に運び咲かせる人間でありたい。それが今の自身の戦いである。畜生のように世の中の潮流に流されながら生きるのか。それとも信念を作り上げて生き抜くのか。
私は、生命尊厳の思想を拡大し、この地球上に平和の花を爛漫に咲かせるために歴史を学ぶ意味があるのだと思う。
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