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28 2015

妙法は唯一の善の原理

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2008年9月号の大白蓮華、希望の経典「御書」に学ぶ、異体同心事(1463p)より、池田先生の御書講義より学びました。
抜粋させていただきます。


「分断は悪」、「結合は善」です。
仏とは、分断の悪にあえぐ人間たちが織り成す現実の中で、人間と人間を結びつけ、安国の理想実現に尽力しつつ、全人類の平和を目指していく価値創造の生命に他ならない。

ゆえに、「悪は多けれども一善にかつ事なし」と仰せです。善の太陽が昇れば、いかに深い悪の闇も、直ちに、そして必ず滅します。
「一善」とは、大聖人の一門のことです。それは、大聖人の一門にこそ、障魔との戦いを恐れず、妙法という根本の善を弘通しぬく戦いに徹する決意と実践があるからです。

私たちは、法華経の理想を実現する広宣流布の戦いに生きています。誰にどう批判されようと、「民衆の力」を解放し、「民衆の時代」を築いていくために、汗を流し、足を鉄板のようにして歩き、岩盤に爪を立てる思いで戦ってきたのは、創価学会だけです。その事実があるからこそ、世界からの称賛が絶えないのです。

一面から言えば、私たちが築いてきた「異体同心」の哲学と実践は、今、世界で注目される段階になったともいえます。
例えば、「文明対話」も「宗教間対話」も、人類の発展のために、時代の要請であり、不可欠な行動になっています。
いわば、人類全体が「異体同心」を模索しているともいえましょう。

それぞれの文明の差異を超えて、人間の「根本善」の開発のために、対話がいっそう重視される時代となっていることは、各界の識者が共通して認識している通りです。その先端に私たちがいると言うこともできます。

「善」と「善」の連帯を築き上げていく、私たちの「異体同心」の実践を、世界が待望しています。
どこまでも、威風堂々と前進し、勝利の歴史を築いていきましょう。


以上です。
物事の判断には、「分断は悪」、「結合は善」という価値感が、よくわかりやすいと感じます。
どんな理由にせよ、対話を拒否するのは「悪」にむしばまれている心です。
いかに難しくても、対話に挑戦する姿勢は「善」の心です。
自分自身の命のなかで、第六天の魔王が勝つのか、仏性が勝つのか、常に胸中では勝負しています。
仏法とは厳しくもなんと温かいのかの思うのです。

今日も一日、友との対話に挑戦して参ります。
ありがとうございます。
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