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16 2016

狂気と犯罪 何故日本は世界一の精神病国家となったのか 芹沢一也(せりざわかずや) 講談社+α新書

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題名 狂気と犯罪 何故日本は世界一の精神病国家となったのか P222
著者 芹沢一也(せりざわかずや) 講談社+α新書

ある意味この手の本は無関心(あまり見たいと思わなかった)であったのだが,横須賀に住んでいた時に、住まいの近くに医療観察保護の人が対象となる施設が出来た。つまり,精神障害で犯罪を行った人が入る施設である。それがきっかけで手にとって読んでみた。
本書を読んで,平成15年に出来た「心神喪失者等医療観察法」が適用されて出来た施設であることが判明した。これは裁判官と精神科医が共同して法を犯した精神障害者の危険性を判断し,特別な施設で治療しようという法律である。


横須賀の医療観察保護者用の施設~精神障害で犯罪を行った人たち~

地元では少なからず住民反対運動があったようだ。「何故ここにそんな施設を作るのか」と。しかし反対してもどこかに作らなければならない。今の日本の社会は何か問題があれば,違う世界で対処すべきであって,我々地域が一体になって改善していこう.という概念は定着していないようだ。この「臭い物には蓋をする」「汚いものは排除する」という考え方そのものが,今我々社会が抱える問題であると思う。

本書でいう「狂気」とは精神障害の犯罪者をさす。しかし,法を犯した精神障害者は動機の理解ができない。そこでいつの間にか,精神障害者の全ては潜在的に危険性が伴う「狂気」である見なし,社会から排除してしまったのだ。そのため法律が適用できず,精神障害者から見ると裁かれる権利を剥奪されたことになる。これが,今の日本の社会の実態である。我々はこういう世界に住んでいるのだ。

精神病院は経済至上主義の営利施設となっている事実。筆者は日本の歴史を説明し,現在における問題点を指摘する。そして,精神障害は癌や糖尿病と代わることのない「普通の病気」であり,精神障害者を社会から取り除くのではなく,精神障害者も裁判を受けることが出来る仕組みを作ることを訴え,提案している。この点については私も同意である。

排除は差別を生む。差別は犯罪を生む。仏法の眼から見る時、分断は悪であり、団結は善であるのだ。御書に「日蓮が弟子檀那等・自他彼此(じたひし)の心なく水魚の思を成して」とある。ものごとを分断して解決することはできない。まさに今、そのようなことが明確になっている時代とも言えるのではないだろうか。


心神喪失者等医療観察法の今後について

「心神喪失者等医療観察法」の適用の是非についてはこれからの判断が必要であると思う。しかし,裁判官が介入した法案ということは,社会から排除されていた精神障害者にとって,社会に介入したひとつの前進として捉えることができるかもしれない。当然多くの問題がこれから提議されるであろうが,今後の課題として,精神障害を持つ犯罪者の対策以上に,一般の精神障害者の社会復帰のためには,一般人がこの現状をどのように知り,そのように介入し,我々の社会の中で解決してゆくのか,ということかもしれない。

私は,この問題の解決には,「福祉」として地域社会が具体的に関わり,受け入れていく必要があると考えさせられた,大変貴重な一書であった。


精神障害者の歴史と現状~精神障害者はなぜ無罪となるのか~

特に私が気になった箇所について本書より説明したい。
日本という国は世界最多の入院患者を持つ国である。OECD(経済協力開発機構)によると,人口1万人に対する精神科の病床数は,イギリス10,カナダ4,日本28と多い。平均在院日数もイギリス86日,カナダ22日,日本331日とこれまた多い。そして2001年現在では,日本の病院にいる約140万人の全入院患者のうち,1/4の約34万人が精神障害者なのである。しかも欧米諸国では精神病院の多くが国公立であるのに対し,日本は約8割を民間病院がしめている。これは何故なのか?ここに日本における精神病院の問題のひとつがある。

日本では経済成長ブームに乗り,国は公的な精神病院を作る代わりに民間病院の設立をバックアップし,更に自傷他害の恐れのある精神障害者,「措置入院患者」の国庫負担を引き上げることで,入院患者が急増し,精神病院の経営を安定させることが出来るようになった。さらに,「医療法特例」により,精神病院の経営を安定させることが可能となった。これは,精神病院では一般病院の1/3の医師と2/3の看護者でよいとしているものだ。つまり,普通の病院では患者16人に対して1人の医師が必要であるところ,精神病院には患者48人に1人の医師がいればよいとなっている。なんという無責任な法案なのであろうか!

しかも「向精神薬」という患者の興奮を鎮めることが容易な薬が出来たため,「薬漬け」という画一的治療法が広まる。これにより,「精神科医は専門的な訓練を受けなくても可能である」という風潮も生まれ,他科の多くの医師や非医師が経営上の利潤を目的として精神病経営に参入してきた。こうして,精神病院は経済至上主義の営利施設となったのだ。「政治」「行政」「精神医学」が一体となって何故このような政策をしたのだろうか。

実は,「精神障害者は無罪」=「法の裁きからの自由」とすることで,精神を病む人間の「閉じ込め」を正当化し,精神を病む人間は「社会の住民でもない」ということを示しているのだ。つまり恐ろしいことに,我々が生きる日本では「狂気」を排除し,犯罪に及んだ精神障害者の「再犯の恐れ」を診断しようとすることで,いつの間にか,精神障害者の全ては潜在的に危険であるとして,精神病院による閉じ込め政策を正当化しているのである。

明治4年に東京府が出した「裸体禁止令」。現代の常識から言えば当たり前と思われることであるが,当時の日本では裸体はきわめて自然であった。当時の日本の権力者は,ロシアのアレクセイ皇太子が来日するということで,乞食や物乞いが路上を徘徊ししている現状の日本帝国の恥かくしのために強制収容を行った。つまり,海外の文明から「野蛮」と見られ,植民地化されることを恐れたのだ。日本の為政者は近代化を急いだ。江戸時代の精神障害者は「乱心者」といい,彼らは納屋や座敷牢,あるいは神社や寺院に収容されていたようだ。しかし他人に危害を加えることがない限り,江戸の社会は乱心者に寛容だったといわれている。
明治12年,初めて警察が動き,治安維持のために精神患者を収容する施設として,現在の東京都立松沢病院の前進である「東京府癲狂院」が出来た。精神障害者の保護や医療の対象ではない。

大正8年には「精神病院法」が成立し,行政の命令により精神病院がつくれることになる。精神病院は精神医学にとって問題を解決する理想の施設となる。これもまた,貧困かつ危険な患者を施設に閉じ込めるというのが目的であった。これが現代における精神病院の前身であるというのである。

「措置入院患者」について現行法ではどのようになっているのか。法を犯した精神障害者は,その多くは裁判にかけられることなく,検察や警察の手によって精神病院へ送り込まれている。つまり刑法39条を運用しているのは,実は裁判所ではなく警察・検察なのだ。精神病院には様々な人たちが収容・隔離されている。法を犯した精神障害者「触法精神障害者」だけではなく,福祉の対象とすべき生活困窮者,地域や家族の厄介者,精神病質者,アルコール・薬物依存者,単なる犯罪者まで無秩序に押し込まれている。いつ退院できるかは収容された精神病院の性格と、院長の判断次第だ。一切の生殺与奪件が、精神病院長という個人の裁量にゆだねられている。合法的に身柄を拘束する権限が営利組織である民間精神病院に認められているのが現実なのである。
そこでついに「触法精神障害者」の扱いをめぐって,平成15年に「心神喪失者等医療観察法」が作られ,裁判官と精神科医が共同して法を犯した精神障害者の危険性を判断し,特別な施設で治療しようということになったのだ。


かなり長くなってしまったが,以上が精神障害者に対する我々の社会の現状である。
私も筆者と同様に共感するところが多かった。精神の病を普通の病気とすること。社会から取り除くのではなく,精神障害者も裁判を受けることが出来る仕組みを作ること。そうすれば触法精神障害者というカテゴリー自体が意味を失い,法を犯した精神障害者がいるだけである。人間のほかに何者にも代表するものはないのである。そのときに「狂気」を押し込めるという思想が解体され,新たな歴史が生まれていくに違いないと。

これはまさに人間主義、生命尊厳に通じるものではないだろうか。
ありがとうございます。

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