category: チェルノブイリ30年の教訓  1/2

チェルノブイリ30年の教訓=完 31年を迎えて 私たちは学び続けられるのか ロシア研究者・尾松亮

31年を迎えて 2016年11月29日、チェルノブイリ原発4号炉を包み込むアーチ型シェルターの取り付けが完了した。爆発した4号炉を覆うコンクリート遮蔽物「石棺」は老朽化が激しく、この「新シェルター」を上からさらにかぶせた。これにより、水や雪の侵入を防ぎ、周辺環境への汚染拡大を防止する。 専門家によれば、今後100年は持つとのお墨付きだ。「(隣接地の)線量が半分以下に下がった!」とシェルタープロジェ...

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チェルノブイリ30年の教訓 住民の帰還 特例措置で認めるやり方も ロシア研究者・尾松亮

住民の帰還1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故から約1週間後、住民の緊急強制避難を原発周辺30キロに広げる決定が下された。この30キロ圏内は、のちにチェルノブイリ法(1991年成立)で「隔離ゾーン」と位置付けられ、居住や許可なき出入りが禁止された。 事故から30年以上が過ぎた今も、一般住民が住むことを前提にした避難指示解除は行われていない。30キロ圏内には線量が比較的低い地域もある。...

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チェルノブイリ30年の教訓 環境について知る権利 原発被災国が示すべき理念に ロシア研究者・尾松亮

環境について知る権利「各人は良好な環境に対する権利、環境の状態に関する正確な情報を得る権利、環境法令違反により被った健康被害、財物被害の補償を受ける権利を有する」1991年末のソビエト連邦解体後、ロシア連邦で93年に制定された憲法の42条である。これは環境権を定めた条文とされる。「各人は良好な環境に対する権利」を有するというところまでは、どこの国でも考えつく理念だろう。重要なのはそれ以降の部分。「...

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チェルノブイリ30年の教訓 事故を追悼する 遠くを思うだけでよいのか ロシア研究者・尾松亮

事故を追悼する間もなく6度目の3月11日を迎える。地震・津波の大きな被害を受けた東北各県では式典が行われる。原発事故の起きた福島県では原子力事故からの苦しみに思いを寄せる意味合いも強い。もちろん、東北以外でも、この3月11日に特別な追悼イベントを行う自治体はある。また震災の起きた時刻の黙とうは、全国的に行われている。しかし、それは静かに遠い「被災地」を思うという行事ではないか。そのとき、私たちの立...

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チェルノブイリ30年の教訓 避難者へのいじめ 被災者の権利への認識が欠如 ロシア研究者・尾松亮

避難者へのいじめ「やーい、チェルノブイリ人」とからかわれた少年が同級生にとびかかって組み伏せる。これは、日本でも公開された仏・ウクライナなど4カ国合作の映画『故郷よ』(2011年製作)のワンシーンだ。チェルノブイリ原発事故後、新設されたスラブチチという町が舞台である。少年は原発に隣接するプリピャチ市から非難し、この町に住んでいる設定だ。「うそばっかりの映画。あんないじめ、、この町で起こりっこない」...

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チェルノブイリ30年の教訓 受け継いだはずの法理念 影響が否定できないなら救う ロシア研究者・尾松亮

受け継いだはずの法理念福島県民を対象にした甲状腺検査では「推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い甲状腺がんが発見されている」と認められたが、検査結果を評価する検討委員会は、原発事故の影響は否定できないが考えにくいと説明してきた。一方、チェルノブイリ法は、「否定できないなら被害認定する」という立場だ。同法(ロシア版)24条には、因果関係は「被ばく量のレベル、被ばく量に関するデータの欠如、チェ...

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チェルノブイリ30年の教訓 日本の原発事故被災者法 どの選択も支援が原則だが ロシア研究者・尾松亮

日本の原発事故被災者法本連載ではたびたび、被災者の権利を定めた「チェルノブイリ法」を紹介してきた。日本では、原発事故被災者を守る法律はどうなっているのだろうか。「当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていない」これは「子ども・被災者支援法(正式名は「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施...

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チェルノブイリ30年の教訓 事故、被害を語るとき 場所や時間で大きな差が ロシア研究者・尾松亮

事故、被害を語るとき「チェルノブイリでは、子どもたちが100ミリシーベルトを超えて甲状腺被ばくし、甲状腺がんが増えた」こんな風に言われることがある。全くの間違いとはいえないが、この「チェルノブイリでは」には注意が必要だ。「チェルノブイリ」はウクライナ・キエフ州北部の市の名前。1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故直後、このまちも強制避難の対象になった。ちなみに、チェルノブイリ原発はチェルノブ...

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チェルノブイリ30年の教訓 家族で決める避難 法律が求めたのは話し合い ロシア研究者・尾松亮

家族で決める避難チェルノブイリ原発事故から5年後に成立した「チェルノブイリ法」は、年間1ミリシーベルトを超える追加被ばくが推定される地域からの移住の権利を認めた。国の費用負担により、移住した先での住宅の確保、雇用支援や失業給付、引っ越し費用の支給が約束されている。もちろん法律が認めたからといって、皆が移住したわけではない。住宅や仕事が与えられ、引っ越し費用が支給されても、住み慣れた地域を離れ、新し...

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チェルノブイリ30年の教訓 年1ミリシーベルトの法制化 地方議会の訴えが国の基準に ロシア研究者・尾松亮

年1ミリシーベルトの法制化チェルノブイリ事故から5年後、1991年2月28日にウクライナでチェルノブイリ法が成立した。この法律は、年間1ミリシーベルトを超える追加被ばくのある地域を「被災地」と認める。そして、そこに住む人々、そこから移住する人々に対し、国の財政責任で保証することを定めた。この法律が地方議会から生まれたことは知られていない。当時、ウクライナはソ連の一構成共和国だった。ウクライナ共和国...

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