03 2016

幸福とはつかむもの 幸福をつかむ信心

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今月の大白蓮華はずばり本質を説かれています。
毎月大白蓮華が楽しみです。

池田先生のご指導です。
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人間としての尊厳、誇り、自立と生きる喜びを失わせ、絶望とあきらめの暗闇に陥れる貧困や疾病や戦争。
生存の権利を奪うような宿命的な事態を目の当たりにして、どう「生きる意味」を見出していくのか。
この課題に真っ正面から向き合ってこそ、本物の「生きた宗教」「人間のための宗教」なのではないでしょうか。

そうした現実社会の混迷の中で、戸田先生は仏法の幸福論を訴えられたのです。

たとえ今、どんなに苦悩と絶望のどん底にあろうが、妙法は必ず幸福な人生を勝ち開いていける大法である。
この絶対の確信は、学会員にとって、未来への大いなる希望となり、辛酸に満ちた現実の中で歯を食いしばって耐え抜き、戦い抜いていく決意を、根底で支えるものとなりました。

先生は、「幸福をつかむ信心」と言われました。この「つかむ」という一言には、深い深い哲学があります。

幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つものでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。

そして、三世に崩れざる真の幸福感を、自他共の胸中に築き上げていく。ぞれが、創価学会の信心の実践です。
(大白蓮華 2016年2月号)
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以上です。
ありがとうございます。
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