01 2017

チェルノブイリ30年の教訓 年1ミリシーベルトの法制化 地方議会の訴えが国の基準に ロシア研究者・尾松亮

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170201ウクライナ

年1ミリシーベルトの法制化

チェルノブイリ事故から5年後、1991年2月28日にウクライナでチェルノブイリ法が成立した。この法律は、年間1ミリシーベルトを超える追加被ばくのある地域を「被災地」と認める。そして、そこに住む人々、そこから移住する人々に対し、国の財政責任で保証することを定めた。
この法律が地方議会から生まれたことは知られていない。
当時、ウクライナはソ連の一構成共和国だった。ウクライナ共和国議会はソ連中央会議との関係で言えば、県議会のようなものだ。
被害者の権利を訴える運動は、80年代の末からソ連各地で盛り上がった。89年の選挙では各地で被災者代表の議員が生まれた。この動きを受けて、90年からソ連中央議会でも法案の審議が進められていた。
同年のICRP(国際放射線防護委員会)勧告は、公衆の被ばく限度を年間1ミリシーベルトと示した。しかしソ連中央議会は、肝心の1ミリシーベルト基準を条文に書き込むことをためらい続けた。


地方議会の訴えが国の基準に

そしてウクライナ議会が動く。チェルノブイリ法策定委員会の議事録(2月5日)に、委員の発言が記録されている。
「われわれは生涯7レム(70ミリシーベルト)で合意をしようとしていた。しかし、そこでイリイン博士がそれは非科学的で、科学的なのは35レム(350ミリシーベルト)との概念を主張した。しかし、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア共和国代表がイリイン博士に反対した。各共和国は自ら決定することにした。われわれの基準は年0.1レム、1ミリシーベルトだ。1986年に生まれた子どもが生涯7レム(70ミリシーベルト)を超えてはいけないということだ」(馬場朝子・尾松亮『原発事故国家はどう責任を負ったか』)
ソ連の放射線防護委員会は年間5ミリシーベルトでの妥協を図ろうとしていた。この基準をのまされれば、多くのウクライナ住民が補償の対象から外れる。
ウクライナ議会議員たちは、住民の権利と健康を守るために、先手を打って1ミリシーベルト基準を法制化した。のちにこれはソ連全体の基準となる。

日本でも、事故から5年が過ぎた。国に制度が不十分ななか、独自に健康診断を制度化する町がある。条例により、避難者への住宅支援を充実させる県もある。地域に住む人々が安心して暮らせる制度を、先手を打って作り、国に示す。住民代表からの動きを願う。

(聖教新聞2017年1月5(木)付 チェルノブイリ30年の教訓 年1ミリシーベルトの法制化 地方議員の訴えが国の基準に ロシア研究者 尾松亮)


本当にありがとうございます。
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