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2017
随筆 永遠なれ創価の大城15 池田大作 師弟共戦の勝利道
- CATEGORY創価学会三代会長ご指導
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宝友(とも)の健勝
祈る日日
諸天よ護れや
地涌の舞をば
日蓮大聖人は、佐渡や身延で厳しい冬を堪え忍ばれた。
「北国の習(ならい)なれば冬は殊(こと)に風はげしく雪ふかし」(御書1053㌻)、「雪つもりて山里路(やまざとみち)たえぬ」(御書1554㌻)等と仰せの通りだ。その中でも、訪ねてきた門下を最大に励まされるなど、麗しい師弟の交流は絶えなかった。御書に厳と記されている。
我ら創価家族も、風雪に負けず、励まし合って前進していきたい。
特に聖教新聞の配達でご苦労をおかけする尊き「無冠」の皆様の絶対無事故とご健康を、更に強盛に祈ってまいります。
今、「世界広宣流布新時代」の朝を迎えた。その先頭を、「午前八時の太陽」の勢いで、地涌の青年たちが走り、広布拡大をリードしてくれている。
「若い世代のあいだに、責任感と率先して物事を行う気構えとが、今や働きつつある」――戦後まもなく、こう語って青年に信頼を寄せたのが、大科学者アインシュタイン博士であった。
博士は、95年前(1922年)に日本を訪れ、来日最初の講演会を慶応大学で行った。この記念すべき講演を、22歳の戸田先生は牧口先生と一緒に聴講され、生涯の誇りとされていた。
博士が旅の最後に訪れ、美しい風光を喜び讃えたのは、福岡の門司(もじ)(現・北九州市)である。
その九州で今、皆が青年の心で「先駆」の使命を担い、拡大に挑んでいる。頼もしい限りだ。
アインシュタイン博士は、こんな言葉も残している。「高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである」と。
率先垂範の「実例」がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。
我らの掲げる「青年の拡大」も、先駆の「一人」から始まるのだ。
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
日蓮大聖人の立宗七百年の大佳節に当たる1952年(昭和27年)の一月、戸田先生が詠まれた和歌である。
当時の学会は、およそ六千世帯。しかし、恩師の眼は、日本を遥かに超え、東洋広布、さらに世界広布の壮大なる未来を見つめておられた。
妙法流布の使命に生きる人生が、どれほど尊貴であるか。全同志にその福徳と歓喜を知ってもらいたいと、先生は念願されていたのだ。
だが、残念ながら、一月の弘教も、どの支部とも伸び悩んでいた。
先生は「このままでは広宣流布はできない」と嘆かれ、24歳の私を蒲田支部の支部幹事に抜擢された。希望の突破口を開く使命を青年に託してくださったのだ。
1月29日、大田区・鵜の木の集会所で、蒲田支部の緊急の会合を行った。私には、新出発に際し、同志と共有したい誓いがあった。それは――
我々はなぜ、この信心に巡り合えたのか。
末法の御本仏・日蓮大聖人が不惜身命で妙法を広め遺してくださったゆえである。今日では、恩師が戦時下の獄中闘争を勝ち越え、広布の大願に一人立たれたゆえである。
その奇しき縁に思いを致せば、報恩感謝の念が込み上げる。時あたか大聖人の御生誕の月、恩師の誕生の月を迎える。
であれば、この二月、我らは広布拡大の勝利をもってお祝いしようではないか!――と。
会場に戸田先生の姿はなかった。それでも集った弟子たちは、師がここにおられるが如く、前進を誓い合ったのである。
具体的には、師が示された通り、当時の組織の最小単位の「組」を軸に、「組」を盛り立て、折伏を推進していった。
つまり、一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに――
まず、真剣に祈ろう!
近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜しまず」と言われた「随力弘通(ずいりきぐつう)」の実践がある。
大聖人は、四条金吾を讃え語られた。
「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや」(御書1117㌻)と。
師と心を合わせ、自分が縁を結んだ人びとに正義を語っていくことが、流通すなわち世の中に妙法を流れ通わせるのだ。
その中に戦前に入会されていた一家があった。組長の壮年は、牧口先生の折伏である。
牧口先生は、家族の信心に猛反対だった壮年を訪ね、諄々と対話された。「学会は人間の幸福と社会を善くするためにあるのです」と。その「立正安国」の大確信に触れて、壮年は発心した。
先師が縁し、種を蒔かれた方を、孫弟子の私が励ますという不思議なご縁である。ご一家は目標を遥かに上回る弘教を推進してくださった。
一つ一つの縁を「仏縁」としゆく対話と弘教の喜びは勇気の波動となり、誰も彼もが「やらんかな!」の意気を爆発させた。どんどん功徳爛漫の体験が生まれ、新たな対話の勇者たちが陸続と誕生したのだ。
そして、遂に壁を破る弘教201世帯――大田区内はもちろん、神奈川の川崎、東京の目黒、品川など各区に、更に首都圏、全国まで広布の陣列は広がっていった。
人と人の縁は、自分が考えるよりも深く広い。家族・親戚の縁、仕事や学校の縁……大切に結んだ善き縁が、また新たな宝の緑をつないでくれる。
師弟共戦と異体同心で「広宣流布の大願」を成就しゆく勝利道が、晴れ晴れと開かれたのである。
この1952年の2月1日、大阪支部長心得として関西に入りだしたのが、蒲田支部出身の我が友・白木義一郎君であった。
戸田先生が、「大阪にも一日も早く支部を作るべきです」との私の進言に応えて、手を打ってくださったのである。
我らが「常勝関西」の起点も、「二月闘争」と軌を一にしているのだ。
関西との宿縁は深厚である。この1月25日で、横暴な権力の弾圧による「大阪事件」の無罪判決から55年となる。共に祈り戦ってくださった同志、とりわけ婦人部の関西魂は変わらない。
今再び、威風堂々たる「折伏の関西」の大行進を嬉しく見守っている。
男子部の第一部隊長として奔走した、墨田・江東・江戸川など城東方面。支部長代理として前進を指揮した、文京・豊島など有縁の各地。夏季指導の荒川、総ブロック長を務めた葛飾もそうだ。
本陣・大東京の勝利が日本全国の勝利を開くゆえに、私は東京中を何度も何度も駆け巡ってきた。愛する同志の幸福と安穏を祈り、国土世間の変革を念じながら!
「二月闘争」から65星霜――今や東京中、日本中、そして世界中で、後継の青年たちが「新時代の二月闘争」の火ぶたを切ろうとしてる。
日蓮大聖人は、東京の同志の大先輩たる池上兄弟に、三障四魔に打ち勝つ闘魂を注がれた。
「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(御書1090㌻)
さあ、感激の同志よ!
いよいよ勇気を奮い起こし、いよいよ声を励ましながら、朗らかに前進しようではないか!
青年の
生命(いのち)で開く
新時代
平和の柱ぞ
我ら創価は
(聖教新聞2017年1月25日(水)付 随筆 永遠なれ創価の大城15 池田大作 師弟共戦の勝利道)
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広宣流布の大願へ 心勇みて快活な対話を 新たな自分の二月闘争を!
朝夕に宝友(とも)の健勝
祈る日日
諸天よ護れや
地涌の舞をば
日蓮大聖人は、佐渡や身延で厳しい冬を堪え忍ばれた。
「北国の習(ならい)なれば冬は殊(こと)に風はげしく雪ふかし」(御書1053㌻)、「雪つもりて山里路(やまざとみち)たえぬ」(御書1554㌻)等と仰せの通りだ。その中でも、訪ねてきた門下を最大に励まされるなど、麗しい師弟の交流は絶えなかった。御書に厳と記されている。
我ら創価家族も、風雪に負けず、励まし合って前進していきたい。
特に聖教新聞の配達でご苦労をおかけする尊き「無冠」の皆様の絶対無事故とご健康を、更に強盛に祈ってまいります。
今、「世界広宣流布新時代」の朝を迎えた。その先頭を、「午前八時の太陽」の勢いで、地涌の青年たちが走り、広布拡大をリードしてくれている。
「若い世代のあいだに、責任感と率先して物事を行う気構えとが、今や働きつつある」――戦後まもなく、こう語って青年に信頼を寄せたのが、大科学者アインシュタイン博士であった。
博士は、95年前(1922年)に日本を訪れ、来日最初の講演会を慶応大学で行った。この記念すべき講演を、22歳の戸田先生は牧口先生と一緒に聴講され、生涯の誇りとされていた。
博士が旅の最後に訪れ、美しい風光を喜び讃えたのは、福岡の門司(もじ)(現・北九州市)である。
その九州で今、皆が青年の心で「先駆」の使命を担い、拡大に挑んでいる。頼もしい限りだ。
アインシュタイン博士は、こんな言葉も残している。「高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである」と。
率先垂範の「実例」がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。
我らの掲げる「青年の拡大」も、先駆の「一人」から始まるのだ。
報恩の心で立つ
「いざ往かん月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
日蓮大聖人の立宗七百年の大佳節に当たる1952年(昭和27年)の一月、戸田先生が詠まれた和歌である。
当時の学会は、およそ六千世帯。しかし、恩師の眼は、日本を遥かに超え、東洋広布、さらに世界広布の壮大なる未来を見つめておられた。
妙法流布の使命に生きる人生が、どれほど尊貴であるか。全同志にその福徳と歓喜を知ってもらいたいと、先生は念願されていたのだ。
だが、残念ながら、一月の弘教も、どの支部とも伸び悩んでいた。
先生は「このままでは広宣流布はできない」と嘆かれ、24歳の私を蒲田支部の支部幹事に抜擢された。希望の突破口を開く使命を青年に託してくださったのだ。
1月29日、大田区・鵜の木の集会所で、蒲田支部の緊急の会合を行った。私には、新出発に際し、同志と共有したい誓いがあった。それは――
我々はなぜ、この信心に巡り合えたのか。
末法の御本仏・日蓮大聖人が不惜身命で妙法を広め遺してくださったゆえである。今日では、恩師が戦時下の獄中闘争を勝ち越え、広布の大願に一人立たれたゆえである。
その奇しき縁に思いを致せば、報恩感謝の念が込み上げる。時あたか大聖人の御生誕の月、恩師の誕生の月を迎える。
であれば、この二月、我らは広布拡大の勝利をもってお祝いしようではないか!――と。
会場に戸田先生の姿はなかった。それでも集った弟子たちは、師がここにおられるが如く、前進を誓い合ったのである。
「一人」に全力で
私は懸命だった。私と同じ心で、壮年も婦人も立ち上がってくれた。自らの折伏の挑戦が、師匠の生涯の願業である75万世帯の拡大に直結することを、皆が自覚し始めたのだ。具体的には、師が示された通り、当時の組織の最小単位の「組」を軸に、「組」を盛り立て、折伏を推進していった。
つまり、一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに――
まず、真剣に祈ろう!
近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜しまず」と言われた「随力弘通(ずいりきぐつう)」の実践がある。
大聖人は、四条金吾を讃え語られた。
「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや」(御書1117㌻)と。
師と心を合わせ、自分が縁を結んだ人びとに正義を語っていくことが、流通すなわち世の中に妙法を流れ通わせるのだ。
善き「縁」を宝に
蒲田支部には、当時、約百の「組」があった。私は中心者の組長など最前線に立つ方々を、一軒一軒訪問し、親しく語り合い、励ますことを重要な日課としていた。その中に戦前に入会されていた一家があった。組長の壮年は、牧口先生の折伏である。
牧口先生は、家族の信心に猛反対だった壮年を訪ね、諄々と対話された。「学会は人間の幸福と社会を善くするためにあるのです」と。その「立正安国」の大確信に触れて、壮年は発心した。
先師が縁し、種を蒔かれた方を、孫弟子の私が励ますという不思議なご縁である。ご一家は目標を遥かに上回る弘教を推進してくださった。
一つ一つの縁を「仏縁」としゆく対話と弘教の喜びは勇気の波動となり、誰も彼もが「やらんかな!」の意気を爆発させた。どんどん功徳爛漫の体験が生まれ、新たな対話の勇者たちが陸続と誕生したのだ。
そして、遂に壁を破る弘教201世帯――大田区内はもちろん、神奈川の川崎、東京の目黒、品川など各区に、更に首都圏、全国まで広布の陣列は広がっていった。
人と人の縁は、自分が考えるよりも深く広い。家族・親戚の縁、仕事や学校の縁……大切に結んだ善き縁が、また新たな宝の緑をつないでくれる。
師弟共戦と異体同心で「広宣流布の大願」を成就しゆく勝利道が、晴れ晴れと開かれたのである。
この1952年の2月1日、大阪支部長心得として関西に入りだしたのが、蒲田支部出身の我が友・白木義一郎君であった。
戸田先生が、「大阪にも一日も早く支部を作るべきです」との私の進言に応えて、手を打ってくださったのである。
我らが「常勝関西」の起点も、「二月闘争」と軌を一にしているのだ。
関西との宿縁は深厚である。この1月25日で、横暴な権力の弾圧による「大阪事件」の無罪判決から55年となる。共に祈り戦ってくださった同志、とりわけ婦人部の関西魂は変わらない。
今再び、威風堂々たる「折伏の関西」の大行進を嬉しく見守っている。
火ぶたは青年が
広宣流布のため、立正安国のため、「師弟共戦」の心で走った天地には、宝友との「今生人界の思出」が輝いている。男子部の第一部隊長として奔走した、墨田・江東・江戸川など城東方面。支部長代理として前進を指揮した、文京・豊島など有縁の各地。夏季指導の荒川、総ブロック長を務めた葛飾もそうだ。
本陣・大東京の勝利が日本全国の勝利を開くゆえに、私は東京中を何度も何度も駆け巡ってきた。愛する同志の幸福と安穏を祈り、国土世間の変革を念じながら!
「二月闘争」から65星霜――今や東京中、日本中、そして世界中で、後継の青年たちが「新時代の二月闘争」の火ぶたを切ろうとしてる。
日蓮大聖人は、東京の同志の大先輩たる池上兄弟に、三障四魔に打ち勝つ闘魂を注がれた。
「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(御書1090㌻)
さあ、感激の同志よ!
いよいよ勇気を奮い起こし、いよいよ声を励ましながら、朗らかに前進しようではないか!
青年の
生命(いのち)で開く
新時代
平和の柱ぞ
我ら創価は
(聖教新聞2017年1月25日(水)付 随筆 永遠なれ創価の大城15 池田大作 師弟共戦の勝利道)
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