05
2017
随筆 永遠なれ創価の大城20 池田大作 世界一の学会家族
- CATEGORY創価学会三代会長ご指導
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「我らは、久遠元初からの麗しき同心の友である。法華経の会座で共に誓い合って、今また娑婆世界に涌出したのだ」
学会は、広宣流布の仏勅に立ち上がった、世界で唯一の異体同心の和合僧団である。「創価家族」と言われる通り、ここには、いずこにもまして温かな人間連帯がある。
実の父母に限らない。壮年部・婦人部という、学会の父母が、男女青年部や未来部を「わが息子、わが娘」と、大切にしてくれている。真心の応援に包まれ、中部、北海道、関東、関西と、各地の青年大会も大成功である。
多宝会・宝寿会・錦宝会の大先輩方の存在もまた、どれほど大きいか。
さらに目を世界に転ずれば、百九十二カ国・地域の同志が万人尊敬の励ましの輪を広げている。
人類が夢に見た共生社会の縮図がここにある。この団結と和楽をもって、「立正安国」の建設に今日も走りゆく同志の皆様を、恩師も笑顔で見守られているに違いない。
六月四日に、世界の華陽姉妹の記念日を迎える女子部との、婦女一体の大前進の報告を、妻と嬉しく伺っている。
一九五一年の六月十日、婦人部の晴れの結成に際して、戸田先生は和歌を贈ってくださった。
「白ゆりの
香りも高き
集いかな
心の清き
友どちなれば」
たとえ今、どんなに苦しくとも、悩みが深くとも、白ゆりのような清らかな信心があれば、断じて負けない。
先生は草創のある日、涙ながらに苦悩の来し方を語る下町の母を、全力で励まされた。
「信心で勝とう! 時が来れば、全て懐かしい思い出になるよ」
この母は、庶民の都・足立で、恩師の指導通りに懸命に祈り、戦い、そして勝った。
苦楽共に「今生人界の思出」となり、永遠の「心の財」を積んで生命の凱歌を轟かせる。これが信心の極意である。
日蓮大聖人は、苦難の渦中にあった池上兄弟と夫人たちに、団結の大切さを教えられながら、どこまでも信心第一に生き抜けと指導なされた。
「たとえ、どんなに煩わしい苦難があっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい」(御書一〇八八ページ、通解)
苦しい時も題目、嬉しい時も題目、何があっても題目――誓願の祈りを根本に戦ってきたのが、広布の母たちなのだ。
現実社会では、憎悪や反目の争いが絶えない。その悲劇の流転に終止符を打つ希望は、いずこにあるか。
それは「哲学と勇気と慈愛」で結ばれた女性の連帯にこそある。
私と妻は、ノーベル平和賞受賞者のベティ・ウィリアムズさんと、友情を結んできた。北アイルランド紛争の解決へ、対立する双方の女性を結集して、奇跡的な平和運動を成し遂げた母である。その聡明な眼は、“ウソは対立を煽り、民衆を分断させる元凶である”と見破ったのだ。
彼女は語っていた。
「『真実』はいつまでも隠すことはできません。人々の努力でウソの飾りがはぎ取られた時に、美しき心の泉から『希望』がわき出てくるのです」
我らの創価の母が動き語る、賢明にして誠実な言葉は、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。
ある初期の仏典には、こう説かれている。
釈尊は「離反した人々を結びつけ、仲よくしている人々をさらに仲よくさせ」「和合を喜び、和合をもたらす言葉を語っている」と――。
私たちの勇気の対話もまた、信頼を固め、友情を結び、乱世にあって、真実と希望の安全地帯をつくり広げているのだ。
先生は常々、「羊千匹よりも獅子一匹」と言われ、壮年門下に一人立つ師子たれと示された。
御書に、「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり」(御書一一二四ページ)と仰せだ。
眼前の戦いを、“ここが我が勝負なり!”と腹を決め、全力を尽くす。それが師子だ。
壮年部は、社会のため、地域のため、広布のためにと奮迅の勢いを出す。
あの真剣な広宣の父の雄姿を見よ! 壮年部の堂々と戦う姿を見れば、家族も地域の皆も、安心する。勇気をもらう。
日蓮大聖人が佐渡流罪中のことである。
中興次郎入道という年配の壮年がいた。裕福で心根も立派であり、地域からの信頼も厚い長老格の人物であった。
この壮年が、世の風評などに惑わされることなく、自らの曇りなき心で大聖人の人格に共鳴し、「この方は、何かいわれのある方に違いない」と正義の声を上げたのだ。
この一言に一族の人びとも従い、さらに大聖人を憎み、危害を加えようとする周囲の動きも収まった。まさに重鎮の一人の声――大確信の師子吼によって、皆の心を一気に善の方へ動かしていったのである。(御書一三三三ページなど参照)
この次郎入道の夫妻が逝去した後も、子息(中興入道)夫妻は、大聖人門下として強盛な信心を貫いている。
「声仏事を為す」だ。なかんずく、壮年の声の力は計り知れない。ゆえに、断じて声を惜しむまい。声の限り、力の限り、創価の勇将が正義を叫んで、必ずや国土世間を仏国土に変えていくのだ。
慣れ親しんだ地を離れ、新天地で苦境に直面した時、懐かしき同志からの激励で、立ち直ることができた――。
そんな報告を、幾たび伺ってきたことか。今、北海道から沖縄まで全国各地に兄弟会があり、その友情の水脈は世界中に流れ通っている。“支部兄弟会”などとして交流を深めている地域も多い。
同志と結んだ「心の絆」は、環境や場所が変わろうと、切れはしない。物理的な距離は離れても、心はいよいよ近い。
この「兄弟会」の模範の原点といえば、東京・中野である。
スポーツの集いと記念撮影会を行った折(一九七三年二月四日)、参加した青年たちを「中野兄弟会」と命名し、毎年、集い合うことを提案した。一人ひとりが三十年後の目標をメモに記し、誓いを共々に果たそうと呼び掛けたのである。
同じころ、東京の港、渋谷、世田谷、杉並、目黒、大田等でも兄弟会が結成され、新宿、千代田等にも仲良きグループが誕生した。後年、品川、豊島、北、足立、江東、墨田、荒川、また村山、町田、調布等々、新たな兄弟会が発足している。
地涌の兄弟姉妹は、民衆の幸と平和を築く広布の誓いを貫いてきた。今や学会でも、社会でも、地域でも、欠かすことのできない大事な要の存在となってくれている。
つい先日も、私と妻は目黒方面を走り、題目を送った(5月7日)。若き日に夫婦して住んだ三田も通った。地域に根差し、信頼と友情を広げる友の奮闘が、嬉しくてならなかった。
石と石を打ち合えば、火が生まれる。大使命に生き抜く意気と意気が共鳴すれば、生命の底から感激が湧き上がる。
東京の歌「ああ感激の同志あり」を初めて会合で声高らかに歌ったのは、一九七八年の夏、場所は忘れもしない荒川文化会館であった。
そこには、東京の支部長・婦人部長、男女の部長の代表が集っていた。誰もが歓喜に胸を高鳴らせ、声も限りに歌った。
「仏の使いに 誇りあり/ほまれの東京 光あれ」と皆が心を一つにし、まさに“感激の同志”として勝利へ総立ちの出陣となったのである。
“黄金柱の壮年部”と“太陽の婦人部”が、ガッチリと心を合わせ、青年と共に「空飛ぶ者の王」鷲の如く進みゆくのだ。そうすれば、いかなる群雲をも突き抜け、旭日に輝く栄光の峰に到達できないはずがない。
我らには、異体同心の信心がある。あらゆる壁を打ち破る、不屈の負けじ魂がある。無限の価値創造の大空を飛ぶ、慈悲と智慧の翼がある。
さあ常勝のスクラムをさらに強く、勇気の前進、また前進だ!
未来まで
凱歌の物語
綴りゆく
我らは地涌の
兄弟なるかな
(聖教新聞2017年5月31日(水)付 随筆 永遠なれ創価の大城20 池田大作 世界一の学会家族)
本当にありがとうございます。
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我らには「異体同心」の信心がある 広布の父母に最敬礼! 共に人生の凱歌を
わが師・戸田城聖先生の言葉が今日も蘇る。「我らは、久遠元初からの麗しき同心の友である。法華経の会座で共に誓い合って、今また娑婆世界に涌出したのだ」
学会は、広宣流布の仏勅に立ち上がった、世界で唯一の異体同心の和合僧団である。「創価家族」と言われる通り、ここには、いずこにもまして温かな人間連帯がある。
実の父母に限らない。壮年部・婦人部という、学会の父母が、男女青年部や未来部を「わが息子、わが娘」と、大切にしてくれている。真心の応援に包まれ、中部、北海道、関東、関西と、各地の青年大会も大成功である。
多宝会・宝寿会・錦宝会の大先輩方の存在もまた、どれほど大きいか。
さらに目を世界に転ずれば、百九十二カ国・地域の同志が万人尊敬の励ましの輪を広げている。
人類が夢に見た共生社会の縮図がここにある。この団結と和楽をもって、「立正安国」の建設に今日も走りゆく同志の皆様を、恩師も笑顔で見守られているに違いない。
白ゆりに幸光れ
婦人部誕生の六月は“女性の月”である。六月四日に、世界の華陽姉妹の記念日を迎える女子部との、婦女一体の大前進の報告を、妻と嬉しく伺っている。
一九五一年の六月十日、婦人部の晴れの結成に際して、戸田先生は和歌を贈ってくださった。
「白ゆりの
香りも高き
集いかな
心の清き
友どちなれば」
たとえ今、どんなに苦しくとも、悩みが深くとも、白ゆりのような清らかな信心があれば、断じて負けない。
先生は草創のある日、涙ながらに苦悩の来し方を語る下町の母を、全力で励まされた。
「信心で勝とう! 時が来れば、全て懐かしい思い出になるよ」
この母は、庶民の都・足立で、恩師の指導通りに懸命に祈り、戦い、そして勝った。
苦楽共に「今生人界の思出」となり、永遠の「心の財」を積んで生命の凱歌を轟かせる。これが信心の極意である。
日蓮大聖人は、苦難の渦中にあった池上兄弟と夫人たちに、団結の大切さを教えられながら、どこまでも信心第一に生き抜けと指導なされた。
「たとえ、どんなに煩わしい苦難があっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい」(御書一〇八八ページ、通解)
苦しい時も題目、嬉しい時も題目、何があっても題目――誓願の祈りを根本に戦ってきたのが、広布の母たちなのだ。
現実社会では、憎悪や反目の争いが絶えない。その悲劇の流転に終止符を打つ希望は、いずこにあるか。
それは「哲学と勇気と慈愛」で結ばれた女性の連帯にこそある。
私と妻は、ノーベル平和賞受賞者のベティ・ウィリアムズさんと、友情を結んできた。北アイルランド紛争の解決へ、対立する双方の女性を結集して、奇跡的な平和運動を成し遂げた母である。その聡明な眼は、“ウソは対立を煽り、民衆を分断させる元凶である”と見破ったのだ。
彼女は語っていた。
「『真実』はいつまでも隠すことはできません。人々の努力でウソの飾りがはぎ取られた時に、美しき心の泉から『希望』がわき出てくるのです」
我らの創価の母が動き語る、賢明にして誠実な言葉は、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。
ある初期の仏典には、こう説かれている。
釈尊は「離反した人々を結びつけ、仲よくしている人々をさらに仲よくさせ」「和合を喜び、和合をもたらす言葉を語っている」と――。
私たちの勇気の対話もまた、信頼を固め、友情を結び、乱世にあって、真実と希望の安全地帯をつくり広げているのだ。
君よ師子の如く
六月六日は、殉教の先師・牧口常三郎先生の生誕百四十六周年である。先生は常々、「羊千匹よりも獅子一匹」と言われ、壮年門下に一人立つ師子たれと示された。
御書に、「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり」(御書一一二四ページ)と仰せだ。
眼前の戦いを、“ここが我が勝負なり!”と腹を決め、全力を尽くす。それが師子だ。
壮年部は、社会のため、地域のため、広布のためにと奮迅の勢いを出す。
あの真剣な広宣の父の雄姿を見よ! 壮年部の堂々と戦う姿を見れば、家族も地域の皆も、安心する。勇気をもらう。
日蓮大聖人が佐渡流罪中のことである。
中興次郎入道という年配の壮年がいた。裕福で心根も立派であり、地域からの信頼も厚い長老格の人物であった。
この壮年が、世の風評などに惑わされることなく、自らの曇りなき心で大聖人の人格に共鳴し、「この方は、何かいわれのある方に違いない」と正義の声を上げたのだ。
この一言に一族の人びとも従い、さらに大聖人を憎み、危害を加えようとする周囲の動きも収まった。まさに重鎮の一人の声――大確信の師子吼によって、皆の心を一気に善の方へ動かしていったのである。(御書一三三三ページなど参照)
この次郎入道の夫妻が逝去した後も、子息(中興入道)夫妻は、大聖人門下として強盛な信心を貫いている。
「声仏事を為す」だ。なかんずく、壮年の声の力は計り知れない。ゆえに、断じて声を惜しむまい。声の限り、力の限り、創価の勇将が正義を叫んで、必ずや国土世間を仏国土に変えていくのだ。
「兄弟会」の誓い
「学会家族」の団結を語る上で、私が常に思い起こすのが、「兄弟会」の存在である。慣れ親しんだ地を離れ、新天地で苦境に直面した時、懐かしき同志からの激励で、立ち直ることができた――。
そんな報告を、幾たび伺ってきたことか。今、北海道から沖縄まで全国各地に兄弟会があり、その友情の水脈は世界中に流れ通っている。“支部兄弟会”などとして交流を深めている地域も多い。
同志と結んだ「心の絆」は、環境や場所が変わろうと、切れはしない。物理的な距離は離れても、心はいよいよ近い。
この「兄弟会」の模範の原点といえば、東京・中野である。
スポーツの集いと記念撮影会を行った折(一九七三年二月四日)、参加した青年たちを「中野兄弟会」と命名し、毎年、集い合うことを提案した。一人ひとりが三十年後の目標をメモに記し、誓いを共々に果たそうと呼び掛けたのである。
同じころ、東京の港、渋谷、世田谷、杉並、目黒、大田等でも兄弟会が結成され、新宿、千代田等にも仲良きグループが誕生した。後年、品川、豊島、北、足立、江東、墨田、荒川、また村山、町田、調布等々、新たな兄弟会が発足している。
地涌の兄弟姉妹は、民衆の幸と平和を築く広布の誓いを貫いてきた。今や学会でも、社会でも、地域でも、欠かすことのできない大事な要の存在となってくれている。
つい先日も、私と妻は目黒方面を走り、題目を送った(5月7日)。若き日に夫婦して住んだ三田も通った。地域に根差し、信頼と友情を広げる友の奮闘が、嬉しくてならなかった。
石と石を打ち合えば、火が生まれる。大使命に生き抜く意気と意気が共鳴すれば、生命の底から感激が湧き上がる。
東京の歌「ああ感激の同志あり」を初めて会合で声高らかに歌ったのは、一九七八年の夏、場所は忘れもしない荒川文化会館であった。
そこには、東京の支部長・婦人部長、男女の部長の代表が集っていた。誰もが歓喜に胸を高鳴らせ、声も限りに歌った。
「仏の使いに 誇りあり/ほまれの東京 光あれ」と皆が心を一つにし、まさに“感激の同志”として勝利へ総立ちの出陣となったのである。
栄光の峰へ雄飛
大切な広布の父母よ!“黄金柱の壮年部”と“太陽の婦人部”が、ガッチリと心を合わせ、青年と共に「空飛ぶ者の王」鷲の如く進みゆくのだ。そうすれば、いかなる群雲をも突き抜け、旭日に輝く栄光の峰に到達できないはずがない。
我らには、異体同心の信心がある。あらゆる壁を打ち破る、不屈の負けじ魂がある。無限の価値創造の大空を飛ぶ、慈悲と智慧の翼がある。
さあ常勝のスクラムをさらに強く、勇気の前進、また前進だ!
未来まで
凱歌の物語
綴りゆく
我らは地涌の
兄弟なるかな
(聖教新聞2017年5月31日(水)付 随筆 永遠なれ創価の大城20 池田大作 世界一の学会家族)
本当にありがとうございます。
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