19 2016

宝塔について 法華経の見宝塔品第11

スポンサーリンク
いよいよ任用試験(仏法入門)ですね。
法華経の見宝塔品第11に出てくる宝塔について学びたいと思います。


見宝塔品第11 宝塔について

見宝塔品は、人々の眼前に、巨大な宝塔が出現する場面から始まります。
インドの距離の単位で、高さが500由旬、縦広が250由旬。小さく見積もっても「地球の直径の3分の1」に及ぶとされています。
日蓮大聖人は、門下の阿仏房が「この宝塔は何を表しているのですか」との質問に対して、このように答えられました。
「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」(御書1304ページ)

その疑問を持った、あなた自身が宝塔なのですよ。法華経の宝塔とは、あなたなのですよ。それ以外の知識は、何の役にも立たないのですよ、と。
弟子である阿仏房にとって、大聖人の一言はどれほどの驚きであり、どれほどの喜びだったでしょうか。


あなた自身が宝塔

池田先生は次のようにご指導されております。
宝塔は、大宇宙にそびえ立っている。大宇宙の宝を集めたかのような輝かしい姿です。その荘厳さで、あなたの生命こそ宝の集まりなのだと教えている。宝塔の巨大さで、あなた方の生命は宇宙大なのだと教えて下さっている。

末法というこの時に、ご本尊を信じて持つ男女の姿がそのまま宝塔であり、妙法を信じて南無妙法蓮華経を唱える人は、宝塔であるわが身を仏界の生命で輝かせていけるとご教示されています。その本質は、実は南無妙法蓮華経にほかならないことを示されています。大聖人は、この宝塔をご本尊としてご図顕され、末法の私たちに残して下さったのです。

阿仏房は宝塔の意味が知りたかったのです。大聖人は端的に「ほかならぬあなたが宝塔なんですよ」と教えられました。そして、これだけ知っていればよいのだ。他の理屈や知識は無益なのだと。

御書を学び、法華経を学ぶことも、その眼目を確認し、確信を深めるためにあります。また多くの人に語るためであって、それを外れた知識は、成仏の為には無益となってしまう。


大切なことは自身の胸中にある、また他者の胸中にもある、このご本尊、南無妙法蓮華経への確信を深めることに他ならないことを学ばせて頂きました。

今日も一日全力で戦い、友を激励し抜いて参ります。 ありがとうございます。
関連記事
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ このエントリーをはてなブックマークに追加


◇スポンサーリンク◇

法華経の智慧見宝塔品第11阿仏房

0 Comments

Leave a comment