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12 2020

2月闘争を学ぶ

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200212梅

今回、2月闘争(二月闘争)について学んでいきたいと思います。

2月とはどんな月か

2月とは創価学会においてどのような年なのでしょうか。私が知っている範囲で紹介させていただきます。
・日蓮大聖人は、貞応元年(1222年)2月16日、現在の千葉県鴨川市にご誕生された(2020年の今から798年前)
・戸田先生は、1900年(明治33年)2月11日、石川県にお生まれになった。(2020年の今から120年前)
・牧口先生は、1942年(昭和17年)2月、創立以来の伝統の座談会を、「大善生活実証座談会」と銘打たれた。(78年前)(聖教新聞2017年2月22日掲載)
・池田先生の小説『新・人間革命』の第30巻は、2018年2月11日に、上・下2分冊で刊行されることが決定し、 “師弟不二の大叙事詩”の完結となった。


二月闘争

 1952(昭和27)年の2月、当時24歳だった若き池田先生は、蒲田支部の支部幹事として、201世帯の弘教を達成しました。
 当時、12支部あり、最も活力のある支部でも月に100世帯が限界という時代にあって、それまでの限界を大きく打ち破ったこの戦いは、全国の同志に勇気と確信を与え、波動を広げました。これが広布史に燦然と輝く、伝統の「二月闘争」です。


戸田第二代会長の誓願

 1951年(昭和26年)年5月3日、第二代会長に就任された戸田先生は、その席上、75万世帯の弘教という誓願を発表しました。当時の会員は3000人を超える程度に過ぎず、当時の会員にとって、75 万という数は想像もつかないほど遠大なものでした。
 戸田第二代会長の就任から9か月たった昭和27 年1月末時点では、およそ6000世帯。弘教の戦いは思ったように進んでいませんでした。

 戸田先生は、こうした状態を打ち破るため、「雁行進(かりがねこうしん)は、今月をもって、いっさい打ち切きりとする!」と宣言されます。この頃の各支部の弘教の状態を、横一線に並んで進む雁(がん)の群れにたとえて、「雁行進」と言われたのでした。
 「このままでは、とうてい、広宣流布はできない。本当の弟子はいないのか!」との戸田先生の思いに応えて立ち上がったのは若き日の池田先生でした。戸田先生は24歳の池田青年を蒲田支部の支部幹事に抜擢。希望の突破口を開く使命を青年に託されました。それは、青年が常に戸田先生の心に応え、先駆の実践をすることをよくご存じだったからでした。


明確な目標を掲げる

 蒲田支部の支部幹事となった池田先生は、1月29日、大田区・鵜の木(うのき)の集会所(現在の鵜の木三丁目町会会館)で、蒲田支部の緊急の会合を行い、このように訴えました。

 「2月は、日蓮大聖人の御生誕の月であり、戸田先生の誕生の月であります。今日、私たちが、この信心に巡り合えたのは、大聖人様が御出現になったからであることは言うまでもありませんが、戸田先生が広宣流布に一人立たれたおかげでもあります。そして皆さんは、それぞれ功徳を受け、幸せになれた。その報恩感謝の思いで、この2月を戦い切り、見事な勝利の結果を持って、戸田先生にお応えし、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか!」


一人一人に光を当てる

 75万世帯の弘教という戸田先生の構想を、池田先生は片時も忘れることはありませんでした。支部200世帯、組2世帯という明確な弘教の目標を掲げます。組といえば現在のブロック。入会まもない方も多くいました。だからこそ、そこに着目されたのです。
 池田先生は組座談会を徹底して回り抜き、一人ひとりを激励していきました。特に入会してまだ日の浅いメンバーに対しては、「“新しい人”だからこそ“新しい力”を持っている」と励まし、一人ひとりの広布に戦う心を燃え上がらせていったのです。このような池田先生の、徹して「一人」を大切にした「励ましの行動」で、支部内の空気は一変し、弘教の歓喜が広がっていきました。


先生のご指導

 池田先生は次のように話されています。
 一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに、まず、真剣に祈ろう!
 近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
 自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
 この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
 勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜しまず」と言われた「随力弘通(ずいりきぐつう)」の実践がある。


201世帯の弘教を達成

 こうして2月25日、蒲田支部はこれまでの弘教に倍する201世帯を達成し、大きく壁を破やぶりました。それは、師を思う池田先生の熱き心と率先垂範の行動に、皆が奮い立って打ち立てた“広布の金字塔”でした。そして多くの支部が「蒲田に続つづけ」と奮い立ち、弘教の勢いが増していったのです。
 「二月闘争」によって勢いを増した学会は、この年には2万世帯を超え、5年後の1957年(昭和32年)12月、ついに戸田先生の願業である75万世帯の弘教が達成されたのです。


最後に

 伝統の「二月闘争」を貫くもの。それは、「青年の心」、「報恩の心」で、一人立つ師弟不二の精神で立ち上がったことでした。
・青年の心について
 牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていました。牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことでした。
・報恩の心について
 「報恩抄」の文段には、「若し法を伝えて衆生を利せば、畢竟(ひっきょう)、恩を報ずるなり」と示されています。師恩に報いる最上の道は、妙法を語り、一人でも多くの友と仏縁を結び、幸福の人生へ導くことなのです。

以上です。
そして池田先生は次のように語られています。

さあ、感激の同志よ!
いよいよ勇気を奮い起こし、いよいよ声を励ましながら、朗らかに前進しようではないか!

本当にありがとうございます。
私も2020年から2030年、創価学会創立100周年に向けて、いまだかつてない題目を上げ抜いていくことを決意しました。
それはひとえに、池田先生の為に、社会のために、家族のために、自らを大変革・大成長させゆく挑戦でもあります。

私は先生の朗らかに、という言葉が大好きです。ググってみると、次のような意味があるようです。
 ・心にこだわりがなく晴れ晴れとして明るいさま。
 ・日差しが明るく空が晴れ渡っている様子
 ・明るい、晴れやかな、生き生きとした、陽気な、笑顔に満ち溢れたさま。

何があっても朗らかに前進して参ります!
ありがとうございます。
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