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2020
家庭不和・離婚に悩める方への戸田先生のご指導
- CATEGORY創価学会三代会長ご指導
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【2023.3.21 更新】
私がまだ若くて男子部で頑張り始めたころ、先輩からの勧めにより人間革命の読書に挑戦を開始しました。
当時の悩みは「一家和楽」です。未入信の父、信心猛反対の父に対し、なんとしても信心してもらいたい!そう思い戦いを起こしたものです。
人間革命3巻 新生の章 の戸田先生のご指導、そして、法華経の智慧6巻の池田先生のご指導の中に、「結婚」「離婚」「子ども」についてのご指導がありますので、紹介致します。
わが身に当て、また、友の激励の際に紹介しつつ信心の確信を深め、宿命転換できたご指導でもあります。
戸田は、片隅で暗い顔をしている中年の婦人に呼びかけた。
「笹井の奥さん、このごろはどうだね」
彼女は最近の入信者である。彼女の一家は家庭不和問題をもっていた。事業の街工場は危機に瀕しているし、夫は病弱であり、暴君であった。
気丈な彼女は多くの子供を抱えて、懸命に生活と戦っていたが、力尽きた思いであった。
途方に暮れていたとき、彼女は折伏され入信した。そして前途に希望を持ち始めたが、同時に暴君の主人の猛烈な反対が始まった。
思いのままにならぬ困難のさなかに、入信したことによって、もう一つの困難が新たに加わったのである。
この信心をすれば、万事良くなるというのに、ますます苦しくなってきた。昨夜も主人は信心をやめろと、暴力を振るう始末である。
信心する以前よりも、その狂暴性は激しくなってくるばかりだ。いったい、どういうことなのであろう。
このままでは、いっそう不幸が重なってゆくかもしれない。
この信心が間違っているかもしれない。
いや、絶対正しい信心だとあんなに言った。
何が何だか分からなくなってきた。私ほど不幸な女はこの世にいないだろう。
彼女はある一つの結論を得た。
もしこの信心が正しいというなら、きっと主人と別れろということなんだろう。ともかく私はもう我慢できない。そうだ、別れよう。
戸田に呼びかけられたとき、口から飛び出した言葉は、思いつめたその結論であった。
「先生、主人とはどうしても別れることを決心いたしました」
戸田はじっと、笹井の頬のこけた顔を見るめたまま、しばらく黙っていた。そして、穏やかに口を開いた。
「あなたの今の心が、どんなに苦しんでいるかわからんわけではないが、夫婦の中までにははいるわけにはいきません。
ただ一つ、ここであなたに教えておかねばならないことがある。
それは他でもない。あなたの、そういう夫を持たねばならぬ宿命が打開されない限り、その人と別れても、また同じような亭主を持つことだろう。
おなじものを持つなら、たくさん子供もでき、いままでもどうやらやってきたのだから、間に合いそうではないだろうか。」
一同は思わず笑ったが、戸田は真剣な表情をくずさない。
「今のまま、いかにいじめられても、信心をしとおして、やがてその宿業を打破すれば、その夫は必ずよい夫に変わるのだ。
信心を基準にした場合は、冬から春に変わる境目であり、干潮から満潮に変化しゆく一現象なのです。
もし、夫が変わらぬとするならば、その夫のほうから自然に出ていってしまいますよ。別れる、別れないは、その時に考えればいいのです。
重ねて言うが、別れるなともいわないし、別れろというのでもありません。あなたが半年なり一年なりを、信心の実証を示すために、真剣に家庭革命の中心となって頑張りきってみることです。宿命転換の実践を、勇敢にやりとおしてみることです。」
彼女は、きょとんとして顔をあげた。そして、あきらかに失望の色を浮かべて、俯いた。
戸田は、それにはかまわず、さらに続けた。
「こういったからといって、はいそうですか、と納得のいくことでもないかもしれない。いまのあなたは、“そんなこと言ったって、私の苦悩はどうしようもない。いったいどうしたらいいのです。それが聞きたい”と、思っているのでしょう。」
笹井は子供のように大きくこっくりした。
戸田は笑った。
「あなたは正直な人だ。頓服がほしいんだね。私もそんなうまい薬があれば、すぐさまあげたいよ。風邪なら頓服で間に合うが、夫婦の不仲には、そうはいかない。やっかいなこんな病気には、頓服など断じてない。夫婦不和のウイルスなんて、そんな菌は発見されようもなかろう。
ただ一つ、正法の三世にわたる因果の法則からみれば、その原因は判然とわかるのです。
あなたが信心したら、主人が猛然と反対しはじめた。これは一つの結果です。偶然では決してない。
その辺の新興宗教や、死んだ宗教か何かであったら、そんなことはないかもしれない。この信心は、力がある生きた信仰なのです。
正法を受持して、なおそのような目にあうというのは、なにが原因だと思いますか。よく低級宗教家連中のいう、あなたの心得が悪いとか、反対する主人が悪いとか、そんなことに根本の原因があるのではない。厳然たる因果の理法によるのです。
そんなこと、私は知らんといってもダメなんだ。仏様がちゃんとおっしゃっているんだもの。
だからといって、因果の理法がわかれば、解決するというのでもない。これらの根本的解決のために、日蓮大聖人は御本尊を残されたわけです。
その御本尊にたゆまず唱題し、生活革命に努力してゆくことです。若木も一日では伸びない。赤ん坊も一日や二日ぐらいでは大きくならないのと同じく、宿命打開の長い信心が必要になってくるのです。」
「ただ、このことを確信して実行してみるか、疑ってやらないか、問題はそれで右になり、左になるだけだ。
反対されればされるだけ、あたなの宿業は浄化されると決めていってごらんなさい。必ずあとになってわかる。
つまり、その宿業の原因を変えたとすれば、結果はどうなってきますか。宿業が変わる。したがって、あなたの宿命が大きく変わってゆきます。
そこまで信心を貫き通さなければ、意味がない。いやだろうが、苦しかろうが、やりぬけば、お灸の後のようにさわやかになるんだよ。
永遠の生命からみれば、その苦しい半年や一年は瞬間のようなものだよ。一家の根本的な改革の道があるのだから、あとは勇気を持ってやってごらん。
この戸田が命に掛けて保証します」
彼女は返事の代わりにしくしくと泣き出した。
彼女は感動した。そして甘えた。いま、はじめて戸田の言葉を信じようとした。それで安堵の涙があふれてきたのである。
彼女はかぼそい声でやっと言った。
「先生、すみません」
「すまんことなどあるものか。ただ、いい加減な信心では、証拠が出ないというのだ。少しの間、しっかり頑張りきることだ」
戸田は、心底から発奮し、忍耐つよく精進してゆこうと決意しているのを、感じとっていた。
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これは本人が決めるしかない。周囲が別れなさいとか、別れてはいけないとか言う資格もないし、離婚したから信心がないなどと言ってはならない。全部、本人の自由です。
離婚しようがしまいが、最後に幸福になればいいのです。人間革命できれば、それでいいのです。結婚しようがしまいが幸福。子供がいようがいまいが幸福。これが信心です。幸福は自分の胸中にあるのだから。
人間は一人で生まれ、一人で死んでいく。その一人の「自分自身」を変革しきっていくための今世(こんぜ)です。だから、周囲を「善智識」にして、一切を仏道修行と思って頑張りなさいというのです。
戸田先生も、「主人とうまくいかないが、このまま我慢してやっていったほうがいいのでしょうか。別れたほうがいいのでしょうか。」と質問されて、「夫婦の仲にまで入るわけにはいきません」と答えておられた。
「別れるなと言うのでもありません。別れろと言うのでもありません。ただ、そういう夫を持たなければならないあなたの宿業が打破されないかぎりは、その人と別れても、また同じようなことで苦しむのです。
同じく苦しむなら、今の亭主で間に合いそうなものではないか」と教えられたのです。
両親の仲が良ければ、それにこしたことはない。しかし両親が離婚したから必ず子どもが悪くなるとも言えない。むしろ、そういう苦難の中から、より立派に成長した人もたくさんいます。
要は、自分自身が、自分の立場で、自分を見つめきって、人間革命に挑戦し抜いて、そのうえで自分で決めることです。その「強盛な信心」があれば、最後は必ず幸せになる。何があっても、退転せず、前へ前へ、広宣流布しきっていく「信心」があれば、最後は勝利する。それだけわかっていればいい。
もしか離婚した場合は、くよくよしないで、貴重な勉強だったと思って、前以上に広布に頑張っていけばいいんです。また、そういう人を周囲は温かく応援してあげてほしい。そして、母と子。父と子だけであっても、寂しがらないで。「そのぶん、たくさんの友だちをつうろう!」というぐらいの大きな気持ちで生きていただきたい。
そもそも完全に成功した結婚なんて、ほとんどないと言われている。「99パーセントは失敗だ」という人もいる(笑い)
外からは、うらやましいような家庭に見えても、内実は、悩みがいっぱいというのが現実でしょう。
モンテーニュだったか「王国を統治するよりも、家庭内を治めることのほうが難しい」と言っている(笑い)。
けんかできる元気があるだけ、「健康な証拠」だ(笑い)。
大体、夫婦と同じくらいの境界だから、けんかになる。妻や夫を、自分の子どものように思えるようになったら、境涯が段違いだから、けんかになりません。がみがみ言われても、「おっ、まだ元気だな」(笑い) というくらい、楽しく、朗らかに生きればいいんです。
大境界になれば、ギャーギャー言われても、小鳥のさえずりのように聞こえる(笑い)。
ともあれ大事なのは愛情です。慈悲です。そのうえで、一番高いものを目指して、幸福を目指して、一緒に題目を唱える以外にない。
夫婦といっても、もとは他人です。他人なんだから、忍耐して、「理解しよう」と努力しないと、うまくいかない。一緒に生活しながら、家庭を守り、仕事をし、子どもに教育を受けさせていく。二人で「人のために尽くしていこう」とする。その「忍耐」の二字が必要です。
「幸福」の裏づけには「忍耐」が要るのです。忍耐のない幸福を夢みる人が多い。しかし、それは夢です。夢はどこまでいっても夢であり、おとぎの世界です。幼稚な、イージー(安易)な人生です。それで、多くの夫婦が破綻してしまう。幸福を追い求めていながら、不幸になってしまう。
淡々と「一緒に建設しよう」という努力。「一緒に進んでいこう」という忍耐。それがあって、本当の愛情になっていくのです。
本当の愛情は「永遠に一緒に生きたい」ということです。結婚して、25年たって、より以上に深い愛情をもてるのが、本当の結婚です。
愛情は「深まる」ものです。深まらない愛情は、単なる「好き嫌い」の次元なのです。
生活は現実です。だから、男性は経済力がなければならない。そして、女性の話を、我慢して聞いてあげること(笑い)。
あとは、家庭の間であっても、こまめに「ほめる」ことです。なんでもいいから、ほめる。欠点だけ暴いていても、きりがない。愚かです。
女性も、家庭を「明るく」することです。自分がいれば、どんな時も「明るく」する。そう決めることだ。自分が「太陽」になれば、この世に闇はないんです。一人が「太陽」になれば、一家全部が照らされるんです。
夫に、お子さんに、自分のあふれる功徳を回向してあげられる、福徳に満ち満ちた自分になればいいんです。
その決意でいけば、必ず家族も信心するようになります。
かりに自分一人しか信心していない場合でも、信心ある人の前後左右には四菩薩が守って下さっている。十方の仏・菩薩が、諸天善神が、雲のように集まって、その人を、一家を守っていくんです。寂しいなんて思ってはいけない。そして、あせることなく、心から相手を思いやって、信仰に目覚めさせてあげることです。
「決めつけ」はいけない。「どうせ、こういう人なんだ」と決めつけたら、その一念で、相手の成長を止めてしまう。自分の成長も止まる。
「必ず変るんだ」「仏界があるんだから、必ずいつか開花するんだ。させてみせる」と決めて祈りきっていくことです。
たとえば、親が信心しなくても、くよくよしないで、「父が題目を唱えない分、私がかわって唱題してあげよう」と決めればいい。
父母については大聖人は「我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん」(御書509ページ)と仰せだ。
別の解釈もあるが、「親が生きている間に、信心させたい」という心を教えてくださっているとも拝される。
もし信心しないうちに亡くなった場合には、死んでもすぐに生まれてくるから、心配ない(笑い)。生命は永遠だし、祈りは必ず通じていく。カラッと、よい方向へ、よい方向へと解釈していったほうがいい。
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以上です。
ここで私が学んだことは、笹井の奥さんには、信心への素直な心と強き決意があり、また、旦那さんに対して、なんとしても理解を勝ち取りたい、理解してもらいたい、という真心、愛情があるということでした。
この心がなければ、どんなに強盛に信心したとしても、自身の宿命という捉え方から離れてしまい、他責の一念になってしまうからです。その心では決して相手には伝わらず、相手からの共感も理解も得ることができないのです。
本当に創価学会から、同志から、池田先生から、多くのことを教えていただき、一家和楽の信心ができていることに、日々感謝です。
ハワイでの質問会を通しての内容です。
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最初の質問は若い婦人であった。
「私、日本に帰りたいんです。でも、どうすれば良いのかわからなくて…」
こう言うと、婦人は声を詰まらせた。目が潤み、涙が溢れた。しかし、嗚咽を堪えて婦人は話を続けた。
彼女は東北の生まれで、戦争で父を亡くしていた。
家は貧しく、中学を卒業すると、東京に出て働いた。
数年した頃、朝鮮戦争としてアメリカの兵士として日本にやって来た、ハワイ生まれの夫と知り合った。
母親は結婚に反対したが、それを押し切って彼と一緒になった。その頃、彼女は知人から折伏され入会した。2年前のことだ。そして、ハワイに渡り夫の実家での生活が始まった。
自由と民主の豊かな国、アメリカ。それは、彼女の憧れの天地であった。いや、彼女だけでなく、当時の日本人の多くが憧れ、夢見た国といってよい。
しかし、彼女の夢は、あえなく打ち砕かれた。夫の実家での暮らしは、経済的にも決して楽ではなかった。
また、言葉も通じない日本人である彼女に、家族は冷たかった。更に夫までも彼女に暴力を振るうようになり、夫婦の間にも亀裂が生じていったのである。
日ごとに後悔の念が増していった。孤独の心は次第に暗くなり、海に沈む真っ赤な夕日を見ながら、彼女は泣いた。
「この海の向こうには日本がある。帰りたい…」
頬を伝う涙は、傷ついた心に冷たく染みて、悲しみを益々募らせた。
伸一は、婦人の話をじっと聞いていた。
「それで私、主人と別れて、日本に帰りたいのです。でも、母の反対を押し切って結婚しましたから、日本に帰っても誰も迎え入れてはくれません。どうしてよいのか、わからないんです…」
婦人はここまで話すと、肩を大きく震わせて、泣きじゃくった。その涙に誘われるように、会場の婦人たちからも、嗚咽が漏れた。
座談会の参加者の中には、似たような境遇の婦人が少なくなかった。国際結婚という、華やかなイメージとは裏腹に、言語や習慣の異なる異国での生活は、予想以上に厳しく多くの障害が待ち受けていた。
敵国人であった日本人に対する偏見もあった。彼女たちの多くはそんな生活に落胆し、暗澹たる思いで暮らしてきたといってよい。。
伸一は、大きく頷くと、静かに語り始めた。
「毎日、苦しい思いをしてきたんですね。辛かったでしょう。でも、あなたには御本尊があるではありませんか。信心というのは、生き抜く力なんですよ。」
彼の言葉に、力がこもっていった。
「ご主人と別れて日本に帰るかどうかは、貴女自身が決める問題です。たたし、貴女も気付いているように、日本に帰れば幸せが待っているというものではありません。どこに行っても、自分の宿命を転換できなければ、苦しみは付いて回ります。どこか別のところに行けば、幸せがあると考えるのは、西方十万億の仏国土の彼方に浄土があるという念仏思想の様なものです。いま、自分かいるその場所を、常寂光土へと転じ、幸福の宮殿を築いていくのが、日蓮大聖人の仏法なんです。そのためには、家庭の不和に悩まなければならない、自らの宿命を転換することです。自分の境涯を革命していく以外にありません。自分の境涯が変われば、自然に周囲も変わっていきます。それが、依正不二(えしょうふに)の原理です。幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中にある。そして、その扉を開くための鍵が、信心なんです。」
彼はいま、眼前の友の不幸を追放せんと、格闘していた。一人の婦人の心を覆う不幸の闇を打ち破り、勇気の泉を沸かせ、希望の明かりを灯すための、真剣勝負の戦いであった。
伸一には、婦人の辛さも、苦しさも、寂しさも、痛いほどわかった。それだけに、なんとしても強く生き抜く力を持って欲しかった。彼は、強い確信を込めて言った。
「真剣に信心に励むならば、あなたも幸福になれないわけは、断じてない。まず、そのことを確信してください。そして、何があっても、明るく笑い飛ばしていくんです。ご主人だって、奥さんがいつも暗く、メソメソして、恨めしい顔ばかりしていたのでは、いやになってしまいますよ。また、言葉が通じなければ、家族の間でも誤解が生まれてしまいます。ですから、一日も早く英語をマスターして、誰とでも、意思の疎通を図れるように努力してください。これも、大事な戦いです。ともかく、ご主人やご家族を憎んだり、恨んだりするのではなく、大きな心で、みんなの幸せを祈れる自分になることです。」
彼はここまで語ると、優しく笑みを浮かべた。
「あなた以外にも、このハワイには、同じような境遇の日本人女性が沢山いると思います。あなたが、ご家族から愛され、慕われ、太陽のような存在になって、見事な家庭を築いていけば、日本からやって来た婦人たちの最高の希望となり、模範となります。みんなが勇気を持てます。あなたが幸せになることは、あなた一人の問題にとどまらず、このハワイの全日本人女性を蘇生させていくことになるんです。だから、悲しみになんか、負けてはいけません。強く、強く生きることですよ。そして、どこまでも朗らかに、堂々と胸を張って、幸せの大道を歩いていってください。さあ、さあ、涙を拭いて。」
伸一の指導は、婦人の心を激しく揺さぶらずには、おかなかった。慈愛ともいうべき彼の思いが、婦人の胸に熱く染みた。
彼女はハンカチで涙をぬぐい、深く頷くと、にっこりと微笑んだ。
「はい!負けません。」
その目に、また涙が光った。それは、新たな決意に燃える、熱い、誓いの涙であった。伸一の平和旅は、生きる希望を失い、人生の悲哀に打ちひしがれた人々に、勇気の火を点じることから始まったのである。それは、凡そ世界の平和とは程遠い、微細なことに思えるかもしれない。しかし、平和の原点は、どこまでも人間にある。一人一人の人間の蘇生と歓喜なくして、真実の平和はないことを、伸一は知悉していたのである。
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新・人間革命のお話は、少し角度が違う(深い)観点からとなります。信心とは生き抜く力であり、あなたにその力があるんだと渾身の励ましを送り続けてくださる先生。
私は、どのような人生を歩みたいのか。
どのような人間になりたいのか。
あらゆる環境や人間関係を通じて、最後は自分自身を見つめ探求し決断しゆくのは自分自身であり、その決断の先には希望の光があることを教えてくださっているご指導だと思うのです。
本当にありがとうございます。
◇スポンサーリンク◇

【2023.3.21 更新】
私がまだ若くて男子部で頑張り始めたころ、先輩からの勧めにより人間革命の読書に挑戦を開始しました。
当時の悩みは「一家和楽」です。未入信の父、信心猛反対の父に対し、なんとしても信心してもらいたい!そう思い戦いを起こしたものです。
人間革命3巻 新生の章 の戸田先生のご指導、そして、法華経の智慧6巻の池田先生のご指導の中に、「結婚」「離婚」「子ども」についてのご指導がありますので、紹介致します。
わが身に当て、また、友の激励の際に紹介しつつ信心の確信を深め、宿命転換できたご指導でもあります。
家庭不和・離婚に悩める方への戸田先生のご指導 人間革命3巻 新生の章
-----戸田は、片隅で暗い顔をしている中年の婦人に呼びかけた。
「笹井の奥さん、このごろはどうだね」
彼女は最近の入信者である。彼女の一家は家庭不和問題をもっていた。事業の街工場は危機に瀕しているし、夫は病弱であり、暴君であった。
気丈な彼女は多くの子供を抱えて、懸命に生活と戦っていたが、力尽きた思いであった。
途方に暮れていたとき、彼女は折伏され入信した。そして前途に希望を持ち始めたが、同時に暴君の主人の猛烈な反対が始まった。
思いのままにならぬ困難のさなかに、入信したことによって、もう一つの困難が新たに加わったのである。
この信心をすれば、万事良くなるというのに、ますます苦しくなってきた。昨夜も主人は信心をやめろと、暴力を振るう始末である。
信心する以前よりも、その狂暴性は激しくなってくるばかりだ。いったい、どういうことなのであろう。
このままでは、いっそう不幸が重なってゆくかもしれない。
この信心が間違っているかもしれない。
いや、絶対正しい信心だとあんなに言った。
何が何だか分からなくなってきた。私ほど不幸な女はこの世にいないだろう。
彼女はある一つの結論を得た。
もしこの信心が正しいというなら、きっと主人と別れろということなんだろう。ともかく私はもう我慢できない。そうだ、別れよう。
戸田に呼びかけられたとき、口から飛び出した言葉は、思いつめたその結論であった。
「先生、主人とはどうしても別れることを決心いたしました」
戸田はじっと、笹井の頬のこけた顔を見るめたまま、しばらく黙っていた。そして、穏やかに口を開いた。
「あなたの今の心が、どんなに苦しんでいるかわからんわけではないが、夫婦の中までにははいるわけにはいきません。
ただ一つ、ここであなたに教えておかねばならないことがある。
それは他でもない。あなたの、そういう夫を持たねばならぬ宿命が打開されない限り、その人と別れても、また同じような亭主を持つことだろう。
おなじものを持つなら、たくさん子供もでき、いままでもどうやらやってきたのだから、間に合いそうではないだろうか。」
一同は思わず笑ったが、戸田は真剣な表情をくずさない。
「今のまま、いかにいじめられても、信心をしとおして、やがてその宿業を打破すれば、その夫は必ずよい夫に変わるのだ。
信心を基準にした場合は、冬から春に変わる境目であり、干潮から満潮に変化しゆく一現象なのです。
もし、夫が変わらぬとするならば、その夫のほうから自然に出ていってしまいますよ。別れる、別れないは、その時に考えればいいのです。
重ねて言うが、別れるなともいわないし、別れろというのでもありません。あなたが半年なり一年なりを、信心の実証を示すために、真剣に家庭革命の中心となって頑張りきってみることです。宿命転換の実践を、勇敢にやりとおしてみることです。」
彼女は、きょとんとして顔をあげた。そして、あきらかに失望の色を浮かべて、俯いた。
戸田は、それにはかまわず、さらに続けた。
「こういったからといって、はいそうですか、と納得のいくことでもないかもしれない。いまのあなたは、“そんなこと言ったって、私の苦悩はどうしようもない。いったいどうしたらいいのです。それが聞きたい”と、思っているのでしょう。」
笹井は子供のように大きくこっくりした。
戸田は笑った。
「あなたは正直な人だ。頓服がほしいんだね。私もそんなうまい薬があれば、すぐさまあげたいよ。風邪なら頓服で間に合うが、夫婦の不仲には、そうはいかない。やっかいなこんな病気には、頓服など断じてない。夫婦不和のウイルスなんて、そんな菌は発見されようもなかろう。
ただ一つ、正法の三世にわたる因果の法則からみれば、その原因は判然とわかるのです。
あなたが信心したら、主人が猛然と反対しはじめた。これは一つの結果です。偶然では決してない。
その辺の新興宗教や、死んだ宗教か何かであったら、そんなことはないかもしれない。この信心は、力がある生きた信仰なのです。
正法を受持して、なおそのような目にあうというのは、なにが原因だと思いますか。よく低級宗教家連中のいう、あなたの心得が悪いとか、反対する主人が悪いとか、そんなことに根本の原因があるのではない。厳然たる因果の理法によるのです。
そんなこと、私は知らんといってもダメなんだ。仏様がちゃんとおっしゃっているんだもの。
だからといって、因果の理法がわかれば、解決するというのでもない。これらの根本的解決のために、日蓮大聖人は御本尊を残されたわけです。
その御本尊にたゆまず唱題し、生活革命に努力してゆくことです。若木も一日では伸びない。赤ん坊も一日や二日ぐらいでは大きくならないのと同じく、宿命打開の長い信心が必要になってくるのです。」
「ただ、このことを確信して実行してみるか、疑ってやらないか、問題はそれで右になり、左になるだけだ。
反対されればされるだけ、あたなの宿業は浄化されると決めていってごらんなさい。必ずあとになってわかる。
つまり、その宿業の原因を変えたとすれば、結果はどうなってきますか。宿業が変わる。したがって、あなたの宿命が大きく変わってゆきます。
そこまで信心を貫き通さなければ、意味がない。いやだろうが、苦しかろうが、やりぬけば、お灸の後のようにさわやかになるんだよ。
永遠の生命からみれば、その苦しい半年や一年は瞬間のようなものだよ。一家の根本的な改革の道があるのだから、あとは勇気を持ってやってごらん。
この戸田が命に掛けて保証します」
彼女は返事の代わりにしくしくと泣き出した。
彼女は感動した。そして甘えた。いま、はじめて戸田の言葉を信じようとした。それで安堵の涙があふれてきたのである。
彼女はかぼそい声でやっと言った。
「先生、すみません」
「すまんことなどあるものか。ただ、いい加減な信心では、証拠が出ないというのだ。少しの間、しっかり頑張りきることだ」
戸田は、心底から発奮し、忍耐つよく精進してゆこうと決意しているのを、感じとっていた。
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離婚・結婚・子供についての池田先生のご指導 法華経の智慧6巻
-----これは本人が決めるしかない。周囲が別れなさいとか、別れてはいけないとか言う資格もないし、離婚したから信心がないなどと言ってはならない。全部、本人の自由です。
離婚しようがしまいが、最後に幸福になればいいのです。人間革命できれば、それでいいのです。結婚しようがしまいが幸福。子供がいようがいまいが幸福。これが信心です。幸福は自分の胸中にあるのだから。
人間は一人で生まれ、一人で死んでいく。その一人の「自分自身」を変革しきっていくための今世(こんぜ)です。だから、周囲を「善智識」にして、一切を仏道修行と思って頑張りなさいというのです。
戸田先生も、「主人とうまくいかないが、このまま我慢してやっていったほうがいいのでしょうか。別れたほうがいいのでしょうか。」と質問されて、「夫婦の仲にまで入るわけにはいきません」と答えておられた。
「別れるなと言うのでもありません。別れろと言うのでもありません。ただ、そういう夫を持たなければならないあなたの宿業が打破されないかぎりは、その人と別れても、また同じようなことで苦しむのです。
同じく苦しむなら、今の亭主で間に合いそうなものではないか」と教えられたのです。
両親の仲が良ければ、それにこしたことはない。しかし両親が離婚したから必ず子どもが悪くなるとも言えない。むしろ、そういう苦難の中から、より立派に成長した人もたくさんいます。
要は、自分自身が、自分の立場で、自分を見つめきって、人間革命に挑戦し抜いて、そのうえで自分で決めることです。その「強盛な信心」があれば、最後は必ず幸せになる。何があっても、退転せず、前へ前へ、広宣流布しきっていく「信心」があれば、最後は勝利する。それだけわかっていればいい。
もしか離婚した場合は、くよくよしないで、貴重な勉強だったと思って、前以上に広布に頑張っていけばいいんです。また、そういう人を周囲は温かく応援してあげてほしい。そして、母と子。父と子だけであっても、寂しがらないで。「そのぶん、たくさんの友だちをつうろう!」というぐらいの大きな気持ちで生きていただきたい。
そもそも完全に成功した結婚なんて、ほとんどないと言われている。「99パーセントは失敗だ」という人もいる(笑い)
外からは、うらやましいような家庭に見えても、内実は、悩みがいっぱいというのが現実でしょう。
モンテーニュだったか「王国を統治するよりも、家庭内を治めることのほうが難しい」と言っている(笑い)。
けんかできる元気があるだけ、「健康な証拠」だ(笑い)。
大体、夫婦と同じくらいの境界だから、けんかになる。妻や夫を、自分の子どものように思えるようになったら、境涯が段違いだから、けんかになりません。がみがみ言われても、「おっ、まだ元気だな」(笑い) というくらい、楽しく、朗らかに生きればいいんです。
大境界になれば、ギャーギャー言われても、小鳥のさえずりのように聞こえる(笑い)。
ともあれ大事なのは愛情です。慈悲です。そのうえで、一番高いものを目指して、幸福を目指して、一緒に題目を唱える以外にない。
夫婦といっても、もとは他人です。他人なんだから、忍耐して、「理解しよう」と努力しないと、うまくいかない。一緒に生活しながら、家庭を守り、仕事をし、子どもに教育を受けさせていく。二人で「人のために尽くしていこう」とする。その「忍耐」の二字が必要です。
「幸福」の裏づけには「忍耐」が要るのです。忍耐のない幸福を夢みる人が多い。しかし、それは夢です。夢はどこまでいっても夢であり、おとぎの世界です。幼稚な、イージー(安易)な人生です。それで、多くの夫婦が破綻してしまう。幸福を追い求めていながら、不幸になってしまう。
淡々と「一緒に建設しよう」という努力。「一緒に進んでいこう」という忍耐。それがあって、本当の愛情になっていくのです。
本当の愛情は「永遠に一緒に生きたい」ということです。結婚して、25年たって、より以上に深い愛情をもてるのが、本当の結婚です。
愛情は「深まる」ものです。深まらない愛情は、単なる「好き嫌い」の次元なのです。
生活は現実です。だから、男性は経済力がなければならない。そして、女性の話を、我慢して聞いてあげること(笑い)。
あとは、家庭の間であっても、こまめに「ほめる」ことです。なんでもいいから、ほめる。欠点だけ暴いていても、きりがない。愚かです。
女性も、家庭を「明るく」することです。自分がいれば、どんな時も「明るく」する。そう決めることだ。自分が「太陽」になれば、この世に闇はないんです。一人が「太陽」になれば、一家全部が照らされるんです。
夫に、お子さんに、自分のあふれる功徳を回向してあげられる、福徳に満ち満ちた自分になればいいんです。
その決意でいけば、必ず家族も信心するようになります。
かりに自分一人しか信心していない場合でも、信心ある人の前後左右には四菩薩が守って下さっている。十方の仏・菩薩が、諸天善神が、雲のように集まって、その人を、一家を守っていくんです。寂しいなんて思ってはいけない。そして、あせることなく、心から相手を思いやって、信仰に目覚めさせてあげることです。
「決めつけ」はいけない。「どうせ、こういう人なんだ」と決めつけたら、その一念で、相手の成長を止めてしまう。自分の成長も止まる。
「必ず変るんだ」「仏界があるんだから、必ずいつか開花するんだ。させてみせる」と決めて祈りきっていくことです。
たとえば、親が信心しなくても、くよくよしないで、「父が題目を唱えない分、私がかわって唱題してあげよう」と決めればいい。
父母については大聖人は「我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん」(御書509ページ)と仰せだ。
別の解釈もあるが、「親が生きている間に、信心させたい」という心を教えてくださっているとも拝される。
もし信心しないうちに亡くなった場合には、死んでもすぐに生まれてくるから、心配ない(笑い)。生命は永遠だし、祈りは必ず通じていく。カラッと、よい方向へ、よい方向へと解釈していったほうがいい。
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以上です。
ここで私が学んだことは、笹井の奥さんには、信心への素直な心と強き決意があり、また、旦那さんに対して、なんとしても理解を勝ち取りたい、理解してもらいたい、という真心、愛情があるということでした。
この心がなければ、どんなに強盛に信心したとしても、自身の宿命という捉え方から離れてしまい、他責の一念になってしまうからです。その心では決して相手には伝わらず、相手からの共感も理解も得ることができないのです。
本当に創価学会から、同志から、池田先生から、多くのことを教えていただき、一家和楽の信心ができていることに、日々感謝です。
新・人間革命第1巻 旭日の章
ハワイでの質問会を通しての内容です。
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最初の質問は若い婦人であった。
「私、日本に帰りたいんです。でも、どうすれば良いのかわからなくて…」
こう言うと、婦人は声を詰まらせた。目が潤み、涙が溢れた。しかし、嗚咽を堪えて婦人は話を続けた。
彼女は東北の生まれで、戦争で父を亡くしていた。
家は貧しく、中学を卒業すると、東京に出て働いた。
数年した頃、朝鮮戦争としてアメリカの兵士として日本にやって来た、ハワイ生まれの夫と知り合った。
母親は結婚に反対したが、それを押し切って彼と一緒になった。その頃、彼女は知人から折伏され入会した。2年前のことだ。そして、ハワイに渡り夫の実家での生活が始まった。
自由と民主の豊かな国、アメリカ。それは、彼女の憧れの天地であった。いや、彼女だけでなく、当時の日本人の多くが憧れ、夢見た国といってよい。
しかし、彼女の夢は、あえなく打ち砕かれた。夫の実家での暮らしは、経済的にも決して楽ではなかった。
また、言葉も通じない日本人である彼女に、家族は冷たかった。更に夫までも彼女に暴力を振るうようになり、夫婦の間にも亀裂が生じていったのである。
日ごとに後悔の念が増していった。孤独の心は次第に暗くなり、海に沈む真っ赤な夕日を見ながら、彼女は泣いた。
「この海の向こうには日本がある。帰りたい…」
頬を伝う涙は、傷ついた心に冷たく染みて、悲しみを益々募らせた。
伸一は、婦人の話をじっと聞いていた。
「それで私、主人と別れて、日本に帰りたいのです。でも、母の反対を押し切って結婚しましたから、日本に帰っても誰も迎え入れてはくれません。どうしてよいのか、わからないんです…」
婦人はここまで話すと、肩を大きく震わせて、泣きじゃくった。その涙に誘われるように、会場の婦人たちからも、嗚咽が漏れた。
座談会の参加者の中には、似たような境遇の婦人が少なくなかった。国際結婚という、華やかなイメージとは裏腹に、言語や習慣の異なる異国での生活は、予想以上に厳しく多くの障害が待ち受けていた。
敵国人であった日本人に対する偏見もあった。彼女たちの多くはそんな生活に落胆し、暗澹たる思いで暮らしてきたといってよい。。
伸一は、大きく頷くと、静かに語り始めた。
「毎日、苦しい思いをしてきたんですね。辛かったでしょう。でも、あなたには御本尊があるではありませんか。信心というのは、生き抜く力なんですよ。」
彼の言葉に、力がこもっていった。
「ご主人と別れて日本に帰るかどうかは、貴女自身が決める問題です。たたし、貴女も気付いているように、日本に帰れば幸せが待っているというものではありません。どこに行っても、自分の宿命を転換できなければ、苦しみは付いて回ります。どこか別のところに行けば、幸せがあると考えるのは、西方十万億の仏国土の彼方に浄土があるという念仏思想の様なものです。いま、自分かいるその場所を、常寂光土へと転じ、幸福の宮殿を築いていくのが、日蓮大聖人の仏法なんです。そのためには、家庭の不和に悩まなければならない、自らの宿命を転換することです。自分の境涯を革命していく以外にありません。自分の境涯が変われば、自然に周囲も変わっていきます。それが、依正不二(えしょうふに)の原理です。幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中にある。そして、その扉を開くための鍵が、信心なんです。」
彼はいま、眼前の友の不幸を追放せんと、格闘していた。一人の婦人の心を覆う不幸の闇を打ち破り、勇気の泉を沸かせ、希望の明かりを灯すための、真剣勝負の戦いであった。
伸一には、婦人の辛さも、苦しさも、寂しさも、痛いほどわかった。それだけに、なんとしても強く生き抜く力を持って欲しかった。彼は、強い確信を込めて言った。
「真剣に信心に励むならば、あなたも幸福になれないわけは、断じてない。まず、そのことを確信してください。そして、何があっても、明るく笑い飛ばしていくんです。ご主人だって、奥さんがいつも暗く、メソメソして、恨めしい顔ばかりしていたのでは、いやになってしまいますよ。また、言葉が通じなければ、家族の間でも誤解が生まれてしまいます。ですから、一日も早く英語をマスターして、誰とでも、意思の疎通を図れるように努力してください。これも、大事な戦いです。ともかく、ご主人やご家族を憎んだり、恨んだりするのではなく、大きな心で、みんなの幸せを祈れる自分になることです。」
彼はここまで語ると、優しく笑みを浮かべた。
「あなた以外にも、このハワイには、同じような境遇の日本人女性が沢山いると思います。あなたが、ご家族から愛され、慕われ、太陽のような存在になって、見事な家庭を築いていけば、日本からやって来た婦人たちの最高の希望となり、模範となります。みんなが勇気を持てます。あなたが幸せになることは、あなた一人の問題にとどまらず、このハワイの全日本人女性を蘇生させていくことになるんです。だから、悲しみになんか、負けてはいけません。強く、強く生きることですよ。そして、どこまでも朗らかに、堂々と胸を張って、幸せの大道を歩いていってください。さあ、さあ、涙を拭いて。」
伸一の指導は、婦人の心を激しく揺さぶらずには、おかなかった。慈愛ともいうべき彼の思いが、婦人の胸に熱く染みた。
彼女はハンカチで涙をぬぐい、深く頷くと、にっこりと微笑んだ。
「はい!負けません。」
その目に、また涙が光った。それは、新たな決意に燃える、熱い、誓いの涙であった。伸一の平和旅は、生きる希望を失い、人生の悲哀に打ちひしがれた人々に、勇気の火を点じることから始まったのである。それは、凡そ世界の平和とは程遠い、微細なことに思えるかもしれない。しかし、平和の原点は、どこまでも人間にある。一人一人の人間の蘇生と歓喜なくして、真実の平和はないことを、伸一は知悉していたのである。
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新・人間革命のお話は、少し角度が違う(深い)観点からとなります。信心とは生き抜く力であり、あなたにその力があるんだと渾身の励ましを送り続けてくださる先生。
私は、どのような人生を歩みたいのか。
どのような人間になりたいのか。
あらゆる環境や人間関係を通じて、最後は自分自身を見つめ探求し決断しゆくのは自分自身であり、その決断の先には希望の光があることを教えてくださっているご指導だと思うのです。
本当にありがとうございます。
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