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18 2020

ディベートから学べること

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200418ディベートペンギン

今から20年ぐらい前に「ディベート研修」なるものを受講したことがあります。
その時に学び感じた感想をお話しさせていただきます。

ディベートって何?

ウィキペディアにはこのようにあります。
ディベート(debate)とは、ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(会)とも呼ばれている。

 元々わたしは人前で話す事は大の苦手。たくさんの人前で話すとなると舞い上がってしまい、頭が真っ白。何を話せばよいのか分からなくなってしまうような人でした。

そんな私が、少しでも人前で堂々と話せるようになれたらいいなーと、当時ディベート研修なるものを受講したのです。

講師はこのように言っていました。
ディベートの達人は、肯定側、否定側のどちら側に立っても第三者を納得させる事ができる。つまり、勝つ事ができる。

この話を聞いた時、正直厳しい世界だな、、と感じたものです。
結局はどんな分野も弱肉強食。強いものが勝つ。勝負の世界であるということ。
事実はいかようにも変わること。
歴史はいくらでも変わってしまう。要は、勝ったものが正義なのだということ。

自分がどんなに正しくとも、ソフィスト(詭弁を使う人)に負けてしまえば、自分がソフィストとみなされてしまうのです。したがって、力をつけ、強くならなければならない。

講師の方が真剣に話す姿を見て、研修を臨む自らの姿勢が甘く、恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。



ディベート研修

 心構えを新たにした所で初日から模擬ディベートを行いました。
論題も「今年巨人が優勝するか否か」と言う事で、肯定側としてディベートに臨みました。

そもそも野球に興味が無い私は、いやでも考えるという頭のトレーニング。苦痛でした。
結果としては自身の無力さ、つまり何一つといっていいほど巨人が勝つ理由を挙げる事ができない、瞬時の判断ができない自分を知りました。

私に必要なことは、あらゆる事にも興味を持てる自分に成長するということ。
頭のエアポケットを無くすという事だったのです。

また、私が討論会の時に力不足を感じたのは、自分の議題に対する確固たる信念・自信を持てるだけの事前準備が甘かった、という事。そのため反問尋問の時には、相手側のミスを責めるのみで、自らの理論と相手の理論の比較により、相手の理論は自らの理論に劣っていると、第三者に訴える事ができなかったのです。


このディベートの研修は、私にとって精神的に苦しいものでしたが、それ以上に多くの事を学ぶ事が出来ました。
特に深く考えさせられたのは、相手を心から説得させるには、話し方の技術だけではだめで、自身の真剣さ、相手を配慮する心、わかりやすく伝えようとする心など、実は精神面に大きく関わるという事でした。
結局のところ、ディベートの勝負は、絶対に勝つというこちら側の執念があるかないか。伝えたいという思いがあるかどうかなのです。

たまに政治家でとにかく反対する輩がいますが、これは全く持ってナンセンスなのです。
反対するのであればそれ以上の代替え案があり、相手と第三者を納得させるだけの配慮や伝えようとする心が必須なのです。

これからはもっと自分の意見を恐れず述べるように努力し、相手の考え方も受け止められるだけの人間に成長し、大きな視野にたって物事を見て行けるよう、日々努力を重ねていきたいと思います。


すばらしく充実した研修でした。
本当にありがとうございます。
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ディベート debate ソフィスト

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