20 2020

高杉晋作の生き様に想う

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200520日の出

高杉晋作の生き様に想う

題名 高杉晋作(上)(下) 298P,283P
著者 池宮彰一郎 講談社文庫

なかなかおもしろく学ぶ点が数多くありました。
心に留まった言葉をもとに学んだことを記します。


◆晋作が胸中に抱く望みは、当代一流、青史に名をとどむる人生である。二流であってはならない。千年残る名でありたい。
 →常に一流を求める心、行動が大切であると感じた。どこか投げやりだったり妥協してしまう自分自身では損するよ。人生はたった一回。今からでも遅くない。これからの人生をどう生き、悔いのない自身の人生を歩むのか。この個所からは晋作の生き様、人生に対する思いを感じます。


◆攘夷というのは国際知識や国際感覚の欠如から生まれる。島国という閉鎖社会の中に培われた固陋の排他主義は、考えようではごく自然な感情とも言えた。
 →攘夷とは敵を排除することを意味します。しかし、敵とは一体何だろうか。日本国のことのみを考えれば、敵とは日本国以外となる。つまり、鎖国を続けてきた日本であるからこそ、日本以外は敵になる。当時は攘夷という思想が生まれるのは同然だったのかもしれない。では、これからの時代は敵とは何だろうか。一切の生命は尊厳であり平等である。この仏法の眼から考えてみれば、敵とは、他者に対する排他の心ではないだろうか。命を踏みにじる言動・行動ではないだろうか。


◆松陰の教育者としての資質は、個々の人間の本質と天分を的確に言い当て、巧みに誉めそやして、その素質を十二分に伸ばすことに優れている点であった。
 →「士は己を知る者のために死す」という言葉があります。人は、自分のことを真に知ってくれる人に対しては心を許し、その人のために命を懸けようと思います。項羽と劉邦もそうでしょう。項羽と劉邦の違いは何か。端的にいえば、人間を自分を中心に使うものか、それとも自他のために相手の性分もわきまえて共に生きるのか。吉田松陰とは実に深き人物だったのではと思うのです。


◆正論、というのは不動の価値を持つものではない。時流の変化によってその評価は一変する。長井は己の才を頼むあまり、時流への配慮を怠った。
 →この点はとても大切だと思うのです。正論、正義といっても時代により常に変化します。この点をよくわきまえなければ自らの進路を誤ってしまいます。私は正しいのだ!といって考えを押し付け、押し通そうとすることは慎むべきでしょう。後で必ず後悔します。自分もそういう性格なのでよくわかります。反省です(笑)。常に相手の立場に立って物事を考える人に成長したいものです。


◆言葉を換えれば、百人の福沢諭吉、千人の坂本竜馬がいても明治維新は成立し得なかった。それを高杉晋作一人、火を振りかざして幕府に立ち向かったのである。
 →まさに一人立つ精神でしょうか。彼がその時代の突破口を開いた、ということなのだと思います。一人の勇気が万人に波動として伝わり時代を大きく動かしたのだと思うのです。


◆藩内に三十人の死士を得れば、長州藩を掌握できる。
 →羊1000匹よりも師子1匹。命をかけて戦う同志がいれば時代を変えれる。深く思索すべき言葉です。


◆この師あらずんば、今日の吾なし。松陰という廻り合わせなくして今日の晋作は有り得ない。
 →師弟とは一切をつくるものです。師弟を離れて歴史も人生もないといえるでしょう。人生における出会いとは、不思議な縁(えにし)があります。決して偶然はないのです。出会いを大切に生きぬく。そういう自身であろうと決意させていただきました。


◆論は過激だが実行性がない。空想から逆算して実行方策を探るという思考が欠けている。
 →言より証拠。有言実行。実践における実証が大切です。


◆政治堂で時局を論ずるときには誰もが威容を取繕い、荘重に意見を申し立てるが、惨烈のさなかにあって人心を収獲し、死生の中に将兵を投ずる気概と戦略を持つ人材などそうざらにあるものではない。
 →つらい現実の中で理想を現実化して行動できるのが賢者でしょう。ピンチがチャンスであると確信します。


◆人は、英雄に会うことに喜びを感ずる。謦咳に接することは更なる喜びである。奉仕することが喜びなのである。財を尽くし、命を捧げることが人生の生き甲斐であり、無上の喜びなのである。
 →我が人生が生きるか死ぬか。これは人との出会い、縁がなければ実現しません。人生は一人では感動の体験もすることができないのです。ならば福運なる人生をいきよう。広布のためにいきようと決意させていただきました。


◆それは人間性の中に潜む小さな悪であった。嫉妬である。ねたみ、やきもち、女偏の二文字は女性特有の感情と思いがちだが、実はそうではない。男同士のほうがもっと凄まじい。国際紛争や国内政治問題の過半は、立場やイデオロギーの差異よりも、嫉妬が因で起こるとさえいわれている。
 →これは戸田先生も達観されておりました。小さな悪、不幸は妬み・嫉妬から生じることが多いものです。ならばこの不幸の連鎖を断ち切るためには、紛動されない自身を築く、人間革命の道しかないのです。


◆数百年間政治の埒外におかれ、無菌の生活を送る天皇は、政治の分析や表裏の複雑な駆け引きなど理解の外であった。敵味方の区別がわからない。時の孝明天皇は純粋の佐幕主義だった。理由は簡単である。快感を持つか、不快感を抱くかによって敵味方を決めた。要するに穏便で礼儀をわきまえ、温和な態度で接する幕府要路の者や、会津藩主とその重臣が善かった快かったのである。
 →私は吉川栄治の、「苦に徹すれば珠となる」という言葉が好きです。何のための人生なのか。しかし人は安穏に生きれば楽をしたくなる。しかしその脱却は、やはり求道心なのでしょう。


◆革命は上から動かしても徐は開けない。底辺の大衆の力を結集することから始まる。
 →その通りだと思います。上からの革命もできますが、一時的なものです。上が変わればまた変わります。下からしか本当の変革はできない。大衆が変わろうとすれば真に永続的な革命が始まるのです。そして今、まさにそういう時代なのです。


◆禁門の変というただ一日の戦いは、265年で終わる徳川幕府の戦史では、最大の動員力を示し、幕威を最大限に発揮した戦いである。長州軍の総兵力は二千見満たなかったが、幕府はその数十倍。一日にして長州軍は潰えるが、その果敢な戦闘は幕府に与して戦った諸藩に甚大な恐怖を与え、以後、戦意を喪失して戦争回避に傾く最大原因となった。
 →数ではない。勇気です。この一撃が時代を大きく変える因を作ったのでしょう。


◆藩の侍は禄を守るために戦争に出ているが、騎兵隊は郷土意識と人並みの身分を守るために戦っている。
 →なかなか深い思索です。命を駆けて戦うものは強いものです。


◆人は困ってはいけない。困ったと思うと何の思案も浮かばなくなる。人の仕出かした事態が人の知恵で打開できないはずがない。
 →心が前向きか、後ろ向きかで出てくるアイデアも全く違うものになる。悲観主義か、楽観主義か。生命力が強いか、弱いか。確たる自己があるか、環境や他人に流される自身なのか。


◆山県は松下村塾出身者でありながら思想が皆無であった。
 →組織屋の幹部だったのでしょう。しかし幹部となり歴史上に名を残すことはできる。しかし民衆の心に残ったのは誰だったのでしょうか。


◆人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢まぼろしの如くなりと言う。人の命もいつか夢幻と終わる。事が成っても、夢に描いた世の中が来るとは限らんのだ。例え見栄にせよ、美しく事をなせば、事成らずとも人の世を美しくする。それでよいのだ。萩に向かって一理行けば一理の忠を尽くし、二里行けば二里の儀をあらわすときである。
 →これもまた深き人生の思索でしょう。ゴールにたどり着くことが目的ではないのです。ゴールに向かうその生き様に意味がある。どう生きたのか。また、どう生きているのか。自らの生きざまについて考えさせられました。


◆人間は、艱難は共に出来るが、富貴は共にできない。
 →なるほどよくわかります。そのとおりだと思うのです。


◆晋作には強烈な意思があった。維新回天の業は、長州一藩で成し遂げてみせる。天下という巨大な存在は、35人の議論では転回しない。一大藩の豊富な資力と侍という支配階級だけではなく、騎兵隊のような庶民までを動員した武力を糾合しなければ、そのきっかけも掴めなかったであろう。他藩のやつ等と交わって、何の得ることがある。世間というのはそういうものだ。勢いがあるときには人は寄ってくるが、勢いがなくなれば助けに来るどころか誰も寄り付かなくなる。
 →これもまた深い真理だと思うのです。異体同心であり、大衆の心を掴んだものが勝利を得るのでしょう。



以上です。

本当にありがとうございます。
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