05 2020

陳舜臣の諸葛孔明(上)を読んで

スポンサーリンク
200605三国志

陳舜臣の諸葛孔明(上)を読んで



諸葛孔明(上) 陳舜臣 中公文庫

諸葛孔明は、乱世という時代を、民衆の幸福のために誠実に、真剣に生き抜いた男であった。

 「二桃を持って三士を殺す」とは斉(せい)の伝説である。紀元前6世紀の後半、春秋時代の斉の名臣晏嬰(あんえい)にまつわる話で、「晏子春秋(あんししゅんじゅう)」という本にある。

斉の景公の時代、公孫接(こうそんせつ)、田開彊(でんかいきょう)、古冶子の3人は武勇を持って知られていた。宰相の晏子は、この3人が力を合わせたなら、斉国の大きな禍になることをおそれ、彼らの離間を図る。景公の名によって、3人に2個の桃を贈り、三子、功を計って食え。と命じた。

結果として、最初の二人が各自の手柄を述べて桃を取り、最後の一人(古冶子)が己の手柄を述べて私が受取るべきであると訴えた。二人は恥じて自害し、古冶子も一人で生きるのは不仁であり、人に恥をかかせたのは不義であるとして自害した。


孔明が幼いころ、叔父の諸葛玄にこの話をきき、権力について考える。何故晏子は三人を殺したくもないのに殺さねばならなかったのだろうか、主君に背く恐れはなかったのではないかと。


叔父、諸葛玄は答える。「子供のころは誰でも純粋であるが、だんだんと陰険になったり、悪巧みをする人間が出る。お前の周辺にそんな人がいないかこれから注意してみるがよい。地位が高くなるにつれて、取り巻きが集まる。連中はおだててご機嫌を取る。ほめるやつには気をつけろ。お前も大きくなれば嫌というほど経験するだろう」。乱世は一面では立身の好機である。数人の英雄は天下を狙う。大勢の人は彼らの一人に自分の人生をかけようとする。取り巻きは己のために主君のご機嫌を取る。


193年、徐州で繰り広げられた曹操の復讐戦。復讐のために、曹操は陶謙と敵対する袁紹陣営に加わり大殺戮を行った。数十万の男女が無残にも殺され、孔明はその光景を眼に焼き付ける。このとき、孔明は民衆のための政治を行うことを誓う。


孔明は、真の民衆のための時代、民衆の平和を望んで立ち上がった、誠実の人間である。この曹操の殺戮が、孔明を蜀に走らせた。かれは、曹操に対する嫌悪感と怒りから、曹操が世界を制覇すること、つまり、民衆を不幸にするであろう曹操の巨大な権力と断じて戦うことを誓った。

乱世であるからこそ平和を望んだ。孔明はそうした時代を自ら創ろうとした。叔父である諸葛玄が仕えていた主君、劉表。劉表のことを、名君に見える暗君であると諸葛玄は見抜き、孔明につたえた。諸葛玄の臨終に滂沱の涙を流す劉表を見て、孔明は不思議に思う。彼は本当に名君らしい暗君なのか、と。


劉表は外貌は儒雅なりといえども、心に疑忌多し。つまり疑い深い人間であった。状況が複雑になると疑い深い人間は決断が出来なくなる。孔明は、乱世の時代は特に人物を見抜く力が必要不可欠であることを知り、読書と思索を重ねて自己を鍛えた。

このほか人物評価として、「関羽は上のものにはへりくだらず、毅然としており、時には厳しいが、部下には寛容である。張飛は目上の者に対しては実に従順であるが、部下には厳しい。大きく違うが二人の同じところは、勇猛である」とある。端的な言葉のなかに実に詳細に彼らの人物像が描かれている。

孔明は、浮屠(仏教)の思想に興味を持ち、かれらとの交流を通して情報を収集していたからこそ、孔明たりえた。戦乱と殺戮を目の当たりにした孔明は、己の立身をかけた一生を送るのではなく、民衆の平和を強く望み、民衆の幸福のために国を作るのだという、強き信念の、また誠実な男の人物像として著者は描いている。

大切なことは他にもある。自分の眼を通して、自分の頭で考えて人物を見抜くこと。人物の本質を見抜く力がなければ、乱世は生き残ることは出来ない。更に著者の深い洞察は、民衆の平和を考えるとき、仏教という思想が大変重要であることに気付いたのだ。


私は、21世紀を生命尊厳の世紀とする。これは日蓮仏法、なかんずく、池田先生、戸田先生、牧口先生の思想である。その時代にするためには、深き哲学と信念が必要だ。

我が師匠は池田先生である。仏法の究極は広宣流布という民衆の幸福の社会を実現すること。孔明も同じ思いで戦ったはずだ。私は孔明のように誠実に力強く生きたい。

彼の事を偲び、今でも魅力ある人物として高く評価されているのは、民衆のために立ち上がり、誠実に生き抜いたことに他ならないと思う。

ありがとうございます。
関連記事
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ このエントリーをはてなブックマークに追加


◇スポンサーリンク◇

諸葛孔明陳舜臣中公文庫

0 Comments

Leave a comment