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2020
9・8「原水爆禁止宣言」60周年 池田先生の特別寄稿
- CATEGORY創価学会三代会長ご指導
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昭和32年、1957年9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で開かれた「若人の祭典」に出席された戸田先生は、閉会式で「原水爆禁止宣言」を発表されました。核兵器は“絶対悪”であるとの思想を全世界に広めゆくことを、「遺訓の第一」として後継の青年に託されたのです。
この不滅の原点から60周年を記念して、2017年出版、神奈川青年部が制作した書籍『受け継がれる平和の心――原水爆禁止宣言と神奈川』(潮出版社)の巻頭に、池田先生の特別寄稿「核なき世界へ 誓いの連帯」が掲載されましたので紹介いたします。
「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)
日蓮大聖人の師子吼である。
ひとたび立てた「誓い」を貫き、自らの「使命」の道を歩み通すなかにこそ、人間生命の真の凱歌はある。
地球上から悲惨の二字をなくし、平和と人道の世界を築きゆく原動力も、「誓い」と「使命」で結ばれた民衆の連帯から生み出される。
さる7月7日、ニューヨークの国連本部で「核兵器禁止条約」が採択された。
核兵器の保有や使用を、いかなる場合にも全面的に禁止する――それはまさに、わが師・戸田城聖先生が、60年前、「原水爆禁止宣言」で叫ばれた精神が、ついに国際条約として結実したものにほかならない。
この歴史的な条約が成立した喜びを、被爆地の広島と長崎の方々、そして、戸田先生が宣言を放たれた天地・神奈川の不二の同志をはじめ、世界の友と、私は分かち合いたいのだ。
軍部政府の弾圧と戦い抜き、獄死された先師・牧口常三郎先生の後継として、戸田先生は、どの国の民衆も断じて犠牲にしてはならないと、「地球民族主義」を提唱された。その先生が、何としても克服せねばならない“一凶”として剔抉されたのが、核兵器の問題であった。
宣言を発表する2年前(1955年〈昭和30年〉)から先生は、すでに浜松や函館などで相次いで核兵器の問題に言及されている。堺での会合では、原子爆弾を断じて使用させないために、あらゆる努力を尽くすことが、日本にとって最も大事なことであると力説された。
八幡(現・北九州)でも反核への思いを語り、福岡では“同じ愚を繰り返すな!”と訴えられている。
そして迎えた、1957年(昭和32年)9月8日――。
晴れ渡る秋空の下、横浜・三ツ沢の競技場で発表された「原水爆禁止宣言」は、そうした発言や思索を積み重ねるなか、戸田先生が遺訓の第一として、当時の私たち青年部に託されたものだったのである。
「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
逝去される7カ月前のことであった。戸田先生が病の小康状態のなかで、全生命を振り絞って発せられた、核兵器の悪魔性を糾弾する厳しい言々句々は、今もって耳朶を離れることはない。
先生は、核兵器を正当化する思想の奥にひそむ生命軽視の魔性の爪をもぎとるためには、何よりも民衆、なかんずく青年が立ち上がらなければならないと強調された。
人類の「生存の権利」を守り抜くために、民衆自身の手で行動の波を起こしゆけ! 青年の熱と力で世界市民の連帯を広げゆけ!――この熱願に、創価学会とSGIの平和運動の永遠の原点がある。
以来、私は、師の遺訓を胸に、核保有国の指導者をはじめ、世界の識者と対話を重ねるとともに、毎年の平和提言などを通じて、核兵器の禁止と廃絶への道を開くための提案を行ってきた。
戸田先生の教えを強く深く胸に響かせながら――。
「人類の平和のためには、“具体的”な提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って“行動”することが大切である」
「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが“火種”となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」
そこで私が、具体的な提案を呼び掛ける上で、特に重視してきたのが、次の4点である。
①市民社会が連帯して声を上げる
②核兵器の非人道性を議論の中軸に据える
③国連を舞台に条約づくりを進める
④被爆者の思いを条約の基本精神に刻む
2007年からは、SGIとして、「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の取り組みを進め、核兵器廃絶国際キャンペーンなど多くの団体と協力して連帯を広げてきた。
こうした核廃絶への四つの潮流を国際社会で押し上げる努力を続けるなかで、「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成を得て、ついに採択されたのである。
あの日、三ツ沢の競技場で誓った先生との約束を、大きく果たしゆく歴史が刻まれたことは、弟子として無上の誉れである。
「核兵器禁止条約」への各国の署名は、奇しくも「原水爆禁止宣言」60周年と時を同じくして、9月の国連総会の開幕を機に始まることになった。
加盟国を広げて、核兵器の禁止を全地球的な規模で確立するには、いやまして市民社会の後押しが欠かせない。その大きな推進力となるのが、条約の前文に記された「平和・軍縮教育」である。
師のお名前を冠した「戸田平和記念館」は、1979年(昭和54年)8月のオープン以来、「被爆者の証言による広島・長崎原爆展」や、核の脅威展をはじめ数多くの展示を行い、100万人以上が訪れる「平和・軍縮教育」の場となってきた。
この神奈川での継続的な取り組みが、広島・長崎・沖縄と共に、草の根の意識啓発のモデルとなり、SGI各国の平和運動にも大きな波動を広げてきたのである。
このたびの「核兵器禁止条約」の制定に向けた国連での会議で、SGIとして軍縮教育の重要性を訴え、条約に明記するよう主張したのも、神奈川を起点とする長年にわたる運動の裏付けがあったからだ。
核兵器の廃絶のために尊き生涯を捧げられた、パグウォッシュ会議の指導者ロートブラット博士は、私との対談集で、遺言の如く語っておられた。
「悪に対して、『悪の力』で対抗して、勝つことはできません。『戦争の脅威』をもって戦争を回避しようとしてはならないのです」と。
“悪の力”に対抗し、世界の潮流を変えゆく力こそ、人類意識に目覚めた民衆の連帯である。これが、博士の結論であった。
核時代に終止符を打つには、戸田先生が「原水爆禁止宣言」で浮き彫りにされたように、核兵器はいかなる理由があろうと許されない“絶対悪”であるとの思想を、あらゆる国で根づかせ、人類普遍の倫理として、一段と揺るぎなく確立していく以外にない。
この9月には、戸田先生が平和への魂魄を留められた神奈川の地で「青年不戦サミット」が行われる。〈2日と3日の両日にわたり開催された〉
先生の不二の弟子として、私は、世界の宝友と核兵器の禁止を現実のものにするために戦い続けてきた。
そして今、成立した「核兵器禁止条約」を基盤に、核兵器の廃絶を軌道に乗せるための挑戦を、ここ神奈川でのサミットを新たな出発点として、いやまして力強く巻き起こしていくことを誓い合いたい。
民衆の誓いの連帯が、どれだけの時代変革を成し遂げることができるのか――。
人類史に輝く「未来までの物語」を共々に紡いでいこうではないか!
2017年8月14日
戸田先生とお会いして70周年の記念の日に
(聖教新聞2017年9月8日(金)付 9・8「原水爆禁止宣言」60周年 池田先生の特別寄稿)
以上です。
本当にありがとうございます。
目指すは2030年。生命尊厳を掲げて世界市民の多くの友と連携し、池田先生の弟子として未来までの物語を綴って参ります!
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9・8「原水爆禁止宣言」60周年 神奈川青年部が記念書籍を出版 池田先生の特別寄稿を収録
核なき世界へ誓いの連帯
昭和32年、1957年9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で開かれた「若人の祭典」に出席された戸田先生は、閉会式で「原水爆禁止宣言」を発表されました。核兵器は“絶対悪”であるとの思想を全世界に広めゆくことを、「遺訓の第一」として後継の青年に託されたのです。
この不滅の原点から60周年を記念して、2017年出版、神奈川青年部が制作した書籍『受け継がれる平和の心――原水爆禁止宣言と神奈川』(潮出版社)の巻頭に、池田先生の特別寄稿「核なき世界へ 誓いの連帯」が掲載されましたので紹介いたします。
「ちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)
日蓮大聖人の師子吼である。
ひとたび立てた「誓い」を貫き、自らの「使命」の道を歩み通すなかにこそ、人間生命の真の凱歌はある。
地球上から悲惨の二字をなくし、平和と人道の世界を築きゆく原動力も、「誓い」と「使命」で結ばれた民衆の連帯から生み出される。
さる7月7日、ニューヨークの国連本部で「核兵器禁止条約」が採択された。
核兵器の保有や使用を、いかなる場合にも全面的に禁止する――それはまさに、わが師・戸田城聖先生が、60年前、「原水爆禁止宣言」で叫ばれた精神が、ついに国際条約として結実したものにほかならない。
この歴史的な条約が成立した喜びを、被爆地の広島と長崎の方々、そして、戸田先生が宣言を放たれた天地・神奈川の不二の同志をはじめ、世界の友と、私は分かち合いたいのだ。
軍部政府の弾圧と戦い抜き、獄死された先師・牧口常三郎先生の後継として、戸田先生は、どの国の民衆も断じて犠牲にしてはならないと、「地球民族主義」を提唱された。その先生が、何としても克服せねばならない“一凶”として剔抉されたのが、核兵器の問題であった。
宣言を発表する2年前(1955年〈昭和30年〉)から先生は、すでに浜松や函館などで相次いで核兵器の問題に言及されている。堺での会合では、原子爆弾を断じて使用させないために、あらゆる努力を尽くすことが、日本にとって最も大事なことであると力説された。
八幡(現・北九州)でも反核への思いを語り、福岡では“同じ愚を繰り返すな!”と訴えられている。
そして迎えた、1957年(昭和32年)9月8日――。
晴れ渡る秋空の下、横浜・三ツ沢の競技場で発表された「原水爆禁止宣言」は、そうした発言や思索を積み重ねるなか、戸田先生が遺訓の第一として、当時の私たち青年部に託されたものだったのである。
「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
逝去される7カ月前のことであった。戸田先生が病の小康状態のなかで、全生命を振り絞って発せられた、核兵器の悪魔性を糾弾する厳しい言々句々は、今もって耳朶を離れることはない。
先生は、核兵器を正当化する思想の奥にひそむ生命軽視の魔性の爪をもぎとるためには、何よりも民衆、なかんずく青年が立ち上がらなければならないと強調された。
人類の「生存の権利」を守り抜くために、民衆自身の手で行動の波を起こしゆけ! 青年の熱と力で世界市民の連帯を広げゆけ!――この熱願に、創価学会とSGIの平和運動の永遠の原点がある。
以来、私は、師の遺訓を胸に、核保有国の指導者をはじめ、世界の識者と対話を重ねるとともに、毎年の平和提言などを通じて、核兵器の禁止と廃絶への道を開くための提案を行ってきた。
戸田先生の教えを強く深く胸に響かせながら――。
「人類の平和のためには、“具体的”な提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って“行動”することが大切である」
「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが“火種”となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」
そこで私が、具体的な提案を呼び掛ける上で、特に重視してきたのが、次の4点である。
①市民社会が連帯して声を上げる
②核兵器の非人道性を議論の中軸に据える
③国連を舞台に条約づくりを進める
④被爆者の思いを条約の基本精神に刻む
2007年からは、SGIとして、「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の取り組みを進め、核兵器廃絶国際キャンペーンなど多くの団体と協力して連帯を広げてきた。
こうした核廃絶への四つの潮流を国際社会で押し上げる努力を続けるなかで、「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成を得て、ついに採択されたのである。
あの日、三ツ沢の競技場で誓った先生との約束を、大きく果たしゆく歴史が刻まれたことは、弟子として無上の誉れである。
「核兵器禁止条約」への各国の署名は、奇しくも「原水爆禁止宣言」60周年と時を同じくして、9月の国連総会の開幕を機に始まることになった。
加盟国を広げて、核兵器の禁止を全地球的な規模で確立するには、いやまして市民社会の後押しが欠かせない。その大きな推進力となるのが、条約の前文に記された「平和・軍縮教育」である。
未来までの物語
思い返せば、「原水爆禁止宣言」の精神を時代潮流に高めるために、創価学会の第1号となる平和展示資料館を開設したのは、神奈川の横浜であった。師のお名前を冠した「戸田平和記念館」は、1979年(昭和54年)8月のオープン以来、「被爆者の証言による広島・長崎原爆展」や、核の脅威展をはじめ数多くの展示を行い、100万人以上が訪れる「平和・軍縮教育」の場となってきた。
この神奈川での継続的な取り組みが、広島・長崎・沖縄と共に、草の根の意識啓発のモデルとなり、SGI各国の平和運動にも大きな波動を広げてきたのである。
このたびの「核兵器禁止条約」の制定に向けた国連での会議で、SGIとして軍縮教育の重要性を訴え、条約に明記するよう主張したのも、神奈川を起点とする長年にわたる運動の裏付けがあったからだ。
核兵器の廃絶のために尊き生涯を捧げられた、パグウォッシュ会議の指導者ロートブラット博士は、私との対談集で、遺言の如く語っておられた。
「悪に対して、『悪の力』で対抗して、勝つことはできません。『戦争の脅威』をもって戦争を回避しようとしてはならないのです」と。
“悪の力”に対抗し、世界の潮流を変えゆく力こそ、人類意識に目覚めた民衆の連帯である。これが、博士の結論であった。
核時代に終止符を打つには、戸田先生が「原水爆禁止宣言」で浮き彫りにされたように、核兵器はいかなる理由があろうと許されない“絶対悪”であるとの思想を、あらゆる国で根づかせ、人類普遍の倫理として、一段と揺るぎなく確立していく以外にない。
この9月には、戸田先生が平和への魂魄を留められた神奈川の地で「青年不戦サミット」が行われる。〈2日と3日の両日にわたり開催された〉
先生の不二の弟子として、私は、世界の宝友と核兵器の禁止を現実のものにするために戦い続けてきた。
そして今、成立した「核兵器禁止条約」を基盤に、核兵器の廃絶を軌道に乗せるための挑戦を、ここ神奈川でのサミットを新たな出発点として、いやまして力強く巻き起こしていくことを誓い合いたい。
民衆の誓いの連帯が、どれだけの時代変革を成し遂げることができるのか――。
人類史に輝く「未来までの物語」を共々に紡いでいこうではないか!
2017年8月14日
戸田先生とお会いして70周年の記念の日に
(聖教新聞2017年9月8日(金)付 9・8「原水爆禁止宣言」60周年 池田先生の特別寄稿)
以上です。
本当にありがとうございます。
目指すは2030年。生命尊厳を掲げて世界市民の多くの友と連携し、池田先生の弟子として未来までの物語を綴って参ります!
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