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著者 国分康孝 講談社現代新書 講談社
リーダーシップについて書かれた哲学書である。自分にとっては大変参考となる一書であった。大いに感銘を受けたのは,筆者の考えるリーダーシップとは,「縁があって存在している自分を自覚し,その縁に感謝する行為」であるという。つまり,報恩感謝の人生を生きることがリーダーシップであるということだ。究極を云えば宇宙・人類に対して奉仕の人生を生き抜くことを決意し,現実の上でそのように生きることが,人類に対する究極のリーダーシップではなかろうか。
本書ではリーダーシップの取り方について具体的に書かれている。リーダーシップを取ると言うことは,タテの信頼関係による上下の連携と,ヨコの世話人や皆の意見を取りまとめる力が必要であり,グループの目標達成のためには,厳父の如く旗を高くかかげ勇猛に前進し,メンバーの状況については慈母の如く一人ひとりの状況を細やかに配慮するということである。
この点については私もあらためてなるほど!と思った次第だ。上下と左右の信頼関係がなくてはリーダーシップを発揮できないのだ。いわゆる,ここでは上下・左右は車の両輪であり、厳父と慈母の両者によって子は育ってゆくのだということである。引っ張る力、押す力、安心感、滋養、休息、優しさ、厳しさ、強さ、などの様々なものが必要なのである。どれか一つだけでは目標には達成できずに挫折してしまうのだ。
また,リーダーというのは3つのことが必要となる。1つは何のためにそのグループが存在しているのか,何をしようとしているのか目的を知り,明確にすること。2つ目に集団目標のためにメンバーが仕事を分担することになるため,この役割が混乱しないよう交通整理をはかること。もちろん役割の交通整理だけではなく,メンバー同士の感情交流の交通整理も必要となる。3つ目にメンバー一人ひとりの興味と能力が発揮されるよう配慮することである。
つまり,父母両面の能力を必要に応じて自在に発揮し,タテとヨコの連携を強固につなぎ,自他共に歓喜の中で目標に到達させることがリーダーシップと取ることになるのだと思う。ゆえに,究極のリーダーシップとは,報恩感謝の道に生きること,即ち自他共に勝利と栄光と幸福の大道に向かって共に前進することが,地球上におけるリーダーの生き方の一つなのかもしれない。
今の現実と理想の違いをよくよく見極め,更に自分を成長させたいと思う。この本に出会えたことに心から感謝する。なお,本書中で気に止めた箇所を書き示したい。
リーダーシップを取るということは,縁があって存在している自分を自覚し,その縁に感謝する行為であると思う。よくよく考えてみると,人間が生きるとは人の係わり合いの中で生きていく以外にない。ともすれば,自分の興味・能力・現実条件に応じて,人に与えて返す以外に生きる正道はない。
リーダーシップにはタテ志向ヨコ志向がある。タテ志向とは権威権力による上下関係ではなく,優れているゆえに皆が彼の言うとおりにしよう,ついていこうと言うもの。ヨコ志向とは世話人や皆の意見を取りまとめることである。つまり同一人物がこの二つを状況に応じて使い分けなくてはならない。
ある目標を達成するために,いくつかの具体的な下記目標にわけることをシェーピング(区分け・順位付け)と言う。例えば自動車学校のように「直進」「右折」「左折」「坂道発進」「バックイン」と下位目標を設定し,これが達成できればやがて大目標をクリアできると言うものだ。ただやみくもに「○○せよ」と叱咤激励しても意味がない。
目標設定のときに留意すべき点,ひとつは目標がグループにとってもメンバーにとっても意味があること。第二にメンバーの意欲を高めるような目標を考案すること。
リーダーは口頭及び文章でメンバーをその気にさせる,説得する方法を勉強しなければならない。
リーダーがワンマンの場合,そのリーダーが不在となれば組織は動かない。良いリーダーとはリーダーがいなくもと動くグループを作る人である。
メンバーに対して,リーダーの私に何をほしがっているのかを教えてもらうつもりで話しをするのだ。つまり「直そうとするな。わかろうとせよ」
集団をまとめるのに注意しなければならないことは、「人は好かれているのに私は好かれていない」という嫉妬の問題である。人間はいくつになっても嫉妬をもち、えこひいきには敏感だ。リーダーはメンバーに対して絶えず公平であらねばならない。不公平だとメンバーが仲間割れする。いざと言うときに団結しない。
役割に付随する権限と責任が明確であるかどうかが大切。各メンバーは自分の役割が認められていると感じて意欲的になる。
リーダーとはどういう条件を持つべきであろうか。なんといっても鈍感であってはいけない。機微でなければならない。感受性が高いことが必要だ。自分のことしか考えられない幼児的な人物はリーダーには不向きである。リーダーの条件として、リーダーの孤独に耐える力を上げたい。父性原理(リーダー中心・指示・命令)と母性原理(メンバー中心・許容性)を自由に発揮できることである。
長い人生には上司に恵まれなかったり、自分の失策がたたったり、時機が熟さないために鳴かず飛ばずの時期がある。自分だけ万年○長(万年課長・万年平の意)に留置きということがある。ここが大切なときである。くさってはならぬ。不遇のときでないと出来ないことをするのである。不遇とはたいした責任を持たされていないと言うこと。この期間にどんどん知識や体験を集積しておくのだ。やがて時機が熟して飛躍できる準備をしておくのだ。
リーダーには受容性が必要。春もよければ冬もよし。特定の価値観に固執しないこと。固執するから人が自分の期待どおりに動いてくれないと小言を言いたくなるのだ。メンバーの中には春風の好きな人もいれば秋霜の好きな人もいる。リーダーがもし春風にしかなじめない人物なら、秋霜を好むメンバーは浮かばれない。複数の価値観になじむために、リーダーは普段からさまざまな人間と付き合うのが良い。
自分の考えが定まっていない人は、たまたま手に入れた価値観(哲学・思想・宗教など)に固執する。他の考えに耳を傾けたために、今まで信奉してきた価値観が崩れるのを恐れ、反発するのである。度量が小さいとはこのことである。借り物の思想は壊れる。
「私はしがない教師です」「私は万年課長です」といったような投げやりのアイデンティティでは、生徒や部下はついてこない。結局アイデンティティとは、心意気のことである。リーダーが「私はリーダーである」と心はずむようなアイデンティティを持っているとき、メンバーも心弾む。リーダー自身の自己卑下、自己蔑視が一番良くない。もちろん「俺はリーダーだ」「俺は実力者だ」という自分の支配欲を満たすものは最低だ。
以上です。
この感謝の心とは私にとってはとても大好きな心であり,豊かな人生に転換できる非常に重要な心の在り方だと実感している。その所以は私自身,日蓮大聖人の生命尊厳の思想を実践されてきた創価学会三代会長,牧口先生,戸田先生,池田先生の生き方から,報恩感謝の生き方を学んできたからこそ,そのように思う。
これからの残りの人生,悔いなく挑戦の人生を送っていきたい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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リーダーシップの心理学とは
題名 リーダーシップの心理学 P205著者 国分康孝 講談社現代新書 講談社
リーダーシップについて書かれた哲学書である。自分にとっては大変参考となる一書であった。大いに感銘を受けたのは,筆者の考えるリーダーシップとは,「縁があって存在している自分を自覚し,その縁に感謝する行為」であるという。つまり,報恩感謝の人生を生きることがリーダーシップであるということだ。究極を云えば宇宙・人類に対して奉仕の人生を生き抜くことを決意し,現実の上でそのように生きることが,人類に対する究極のリーダーシップではなかろうか。
本書ではリーダーシップの取り方について具体的に書かれている。リーダーシップを取ると言うことは,タテの信頼関係による上下の連携と,ヨコの世話人や皆の意見を取りまとめる力が必要であり,グループの目標達成のためには,厳父の如く旗を高くかかげ勇猛に前進し,メンバーの状況については慈母の如く一人ひとりの状況を細やかに配慮するということである。
この点については私もあらためてなるほど!と思った次第だ。上下と左右の信頼関係がなくてはリーダーシップを発揮できないのだ。いわゆる,ここでは上下・左右は車の両輪であり、厳父と慈母の両者によって子は育ってゆくのだということである。引っ張る力、押す力、安心感、滋養、休息、優しさ、厳しさ、強さ、などの様々なものが必要なのである。どれか一つだけでは目標には達成できずに挫折してしまうのだ。
また,リーダーというのは3つのことが必要となる。1つは何のためにそのグループが存在しているのか,何をしようとしているのか目的を知り,明確にすること。2つ目に集団目標のためにメンバーが仕事を分担することになるため,この役割が混乱しないよう交通整理をはかること。もちろん役割の交通整理だけではなく,メンバー同士の感情交流の交通整理も必要となる。3つ目にメンバー一人ひとりの興味と能力が発揮されるよう配慮することである。
つまり,父母両面の能力を必要に応じて自在に発揮し,タテとヨコの連携を強固につなぎ,自他共に歓喜の中で目標に到達させることがリーダーシップと取ることになるのだと思う。ゆえに,究極のリーダーシップとは,報恩感謝の道に生きること,即ち自他共に勝利と栄光と幸福の大道に向かって共に前進することが,地球上におけるリーダーの生き方の一つなのかもしれない。
今の現実と理想の違いをよくよく見極め,更に自分を成長させたいと思う。この本に出会えたことに心から感謝する。なお,本書中で気に止めた箇所を書き示したい。
リーダーシップを取るということは,縁があって存在している自分を自覚し,その縁に感謝する行為であると思う。よくよく考えてみると,人間が生きるとは人の係わり合いの中で生きていく以外にない。ともすれば,自分の興味・能力・現実条件に応じて,人に与えて返す以外に生きる正道はない。
リーダーシップにはタテ志向ヨコ志向がある。タテ志向とは権威権力による上下関係ではなく,優れているゆえに皆が彼の言うとおりにしよう,ついていこうと言うもの。ヨコ志向とは世話人や皆の意見を取りまとめることである。つまり同一人物がこの二つを状況に応じて使い分けなくてはならない。
ある目標を達成するために,いくつかの具体的な下記目標にわけることをシェーピング(区分け・順位付け)と言う。例えば自動車学校のように「直進」「右折」「左折」「坂道発進」「バックイン」と下位目標を設定し,これが達成できればやがて大目標をクリアできると言うものだ。ただやみくもに「○○せよ」と叱咤激励しても意味がない。
目標設定のときに留意すべき点,ひとつは目標がグループにとってもメンバーにとっても意味があること。第二にメンバーの意欲を高めるような目標を考案すること。
リーダーは口頭及び文章でメンバーをその気にさせる,説得する方法を勉強しなければならない。
リーダーがワンマンの場合,そのリーダーが不在となれば組織は動かない。良いリーダーとはリーダーがいなくもと動くグループを作る人である。
メンバーに対して,リーダーの私に何をほしがっているのかを教えてもらうつもりで話しをするのだ。つまり「直そうとするな。わかろうとせよ」
集団をまとめるのに注意しなければならないことは、「人は好かれているのに私は好かれていない」という嫉妬の問題である。人間はいくつになっても嫉妬をもち、えこひいきには敏感だ。リーダーはメンバーに対して絶えず公平であらねばならない。不公平だとメンバーが仲間割れする。いざと言うときに団結しない。
役割に付随する権限と責任が明確であるかどうかが大切。各メンバーは自分の役割が認められていると感じて意欲的になる。
リーダーとはどういう条件を持つべきであろうか。なんといっても鈍感であってはいけない。機微でなければならない。感受性が高いことが必要だ。自分のことしか考えられない幼児的な人物はリーダーには不向きである。リーダーの条件として、リーダーの孤独に耐える力を上げたい。父性原理(リーダー中心・指示・命令)と母性原理(メンバー中心・許容性)を自由に発揮できることである。
長い人生には上司に恵まれなかったり、自分の失策がたたったり、時機が熟さないために鳴かず飛ばずの時期がある。自分だけ万年○長(万年課長・万年平の意)に留置きということがある。ここが大切なときである。くさってはならぬ。不遇のときでないと出来ないことをするのである。不遇とはたいした責任を持たされていないと言うこと。この期間にどんどん知識や体験を集積しておくのだ。やがて時機が熟して飛躍できる準備をしておくのだ。
リーダーには受容性が必要。春もよければ冬もよし。特定の価値観に固執しないこと。固執するから人が自分の期待どおりに動いてくれないと小言を言いたくなるのだ。メンバーの中には春風の好きな人もいれば秋霜の好きな人もいる。リーダーがもし春風にしかなじめない人物なら、秋霜を好むメンバーは浮かばれない。複数の価値観になじむために、リーダーは普段からさまざまな人間と付き合うのが良い。
自分の考えが定まっていない人は、たまたま手に入れた価値観(哲学・思想・宗教など)に固執する。他の考えに耳を傾けたために、今まで信奉してきた価値観が崩れるのを恐れ、反発するのである。度量が小さいとはこのことである。借り物の思想は壊れる。
「私はしがない教師です」「私は万年課長です」といったような投げやりのアイデンティティでは、生徒や部下はついてこない。結局アイデンティティとは、心意気のことである。リーダーが「私はリーダーである」と心はずむようなアイデンティティを持っているとき、メンバーも心弾む。リーダー自身の自己卑下、自己蔑視が一番良くない。もちろん「俺はリーダーだ」「俺は実力者だ」という自分の支配欲を満たすものは最低だ。
以上です。
この感謝の心とは私にとってはとても大好きな心であり,豊かな人生に転換できる非常に重要な心の在り方だと実感している。その所以は私自身,日蓮大聖人の生命尊厳の思想を実践されてきた創価学会三代会長,牧口先生,戸田先生,池田先生の生き方から,報恩感謝の生き方を学んできたからこそ,そのように思う。
これからの残りの人生,悔いなく挑戦の人生を送っていきたい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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