20 2016

生きた宗教とは

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第三文明2015年2月号に、松岡幹夫(まつおかみきお)氏と佐藤勝(さとうまさる)氏の対談のなかに、次のようにありました。

●生きた宗教
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松岡
 「生きた宗教」であることの具体的な表れとして「宗教的人格」があって、それが今の創価学会においては池田名誉会長ということになるかと思います。

佐藤
 ええ。私も「創価学会と平和主義」のなかで、池田名誉会長に徹底的にこだわって論を進め、「創価学会の活動すべてが、『池田大作』という人物と結びついている」と書きました。あの書き方に反発を覚えた読者もいたかと思います。
 しかし、池田大作氏に対して偏見を抱いてしまうと、創価学会を正く理解することは不可能になってしまいます。創価学会の平和主義にしても、池田大作という人物と切り離して論ずることは不可能です。たとえば、韓国SGI(創価学会インタナショナル)や台湾SGIのメンバーが領土問題での日本との衝突を望まないのはなぜかと言えば、「池田先生を悲しませるようなことはしたくない」という素朴な感情からだと思うのです。

松岡
 そのあたりが、学会の外にいる人には理解しにくいのでしょうね。だからこそ、学会における池田先生の存在の大きさを論ずると、「カリスマ的指導者の独裁的支配」などという紋切り型のイメージでとらえてしまいがちです。しかし、今の学会における池田先生の存在が「独裁的支配」だというなら、初期キリスト教団におけるイエスと弟子の関係も、孔子と弟子たちの関係も「独裁的支配」ということになってしまいます。

佐藤
 そうですね。弟子たちにはちゃんと自由が担保されているわけですから、独裁と呼ぶのは明らかに間違っています。
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とてもわかりやすいお話です。
創価学会から師匠を切り離すことは絶対にできません。

「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(同1468㌻)
道理とは理証、証文とは文証のことで、御文の通り、大聖人が最も重視されたのが現証です。仏法の目的は、現実に生きる人々を幸福にすることだからです。また、この文証・理証・現証の三証のどれか一つでも欠けていれば正しい宗教とはいえません。

現在、この日蓮大聖人の生命哲学を現代に蘇らせ、世界192カ国に拡げられてきたのは、三代会長であることは紛れもない事実であり、それこそが文証理証現証を現した証明であり、中でも最も重要な現証の証明ではないかと思うのです。


これからの生きる私たちの使命がどれほど深いのか。雄々しく前進して参ります。



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