04
2016
惰性の症例 惰性になっていないかどうかの判断について
- CATEGORY創価学会三代会長ご指導
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池田先生は次のようにご指導して下さいました。
-----
惰性といっても、自分ではなかなかわからない。
わからないからこそ惰性なのだともいえる。
ある人があげていた「惰性の症例」(笑い)は、
①決意、目標があいまいなとき
②勤行はしているが、具体的な祈りがないとき
③勤行や活動が受け身になり、義務的になっているとき
④愚痴や文句が出るとき
⑤歓喜や感謝、感動が感じられないとき
⑥求道心が弱くなっているとき
⑦仕事がおろそかになり、信心即生活のリズムが崩れているとき
などである。
だれもが思い当たる点があるかもしれない。
凡夫であるから、やむをえない面があるとはいえ、大聖人は「信心弱くして成仏ののびん時・某(それがし)をうらみさせ給ふな」(御書1443p)
信心が弱くて、成仏が延びたとき、私(大聖人)をうらんではなりません、と仰せである。
信心は「義務」ではない。幸福になるための「権利」である。自分が決意し、自分が行動した分だけ、自分が得をするのである。(大白蓮華2015年12月号)
-----
以上となります。
非常にわかりやすいです。
私の場合は一日戦わないと、全てに当てはまります(笑)
大事な時期だからこそ、心して参ります。自分の為に、友のために。
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池田先生は次のようにご指導して下さいました。
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惰性といっても、自分ではなかなかわからない。
わからないからこそ惰性なのだともいえる。
ある人があげていた「惰性の症例」(笑い)は、
①決意、目標があいまいなとき
②勤行はしているが、具体的な祈りがないとき
③勤行や活動が受け身になり、義務的になっているとき
④愚痴や文句が出るとき
⑤歓喜や感謝、感動が感じられないとき
⑥求道心が弱くなっているとき
⑦仕事がおろそかになり、信心即生活のリズムが崩れているとき
などである。
だれもが思い当たる点があるかもしれない。
凡夫であるから、やむをえない面があるとはいえ、大聖人は「信心弱くして成仏ののびん時・某(それがし)をうらみさせ給ふな」(御書1443p)
信心が弱くて、成仏が延びたとき、私(大聖人)をうらんではなりません、と仰せである。
信心は「義務」ではない。幸福になるための「権利」である。自分が決意し、自分が行動した分だけ、自分が得をするのである。(大白蓮華2015年12月号)
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以上となります。
非常にわかりやすいです。
私の場合は一日戦わないと、全てに当てはまります(笑)
大事な時期だからこそ、心して参ります。自分の為に、友のために。
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